2007年10月
10月21
10月21
気が付いたら、金沢市とか盛岡市とか地方の県庁所在地ばかり住んでいて、大都会には暮らしたことがない事に気付きました。まあ、一応、県庁所在地に住んでいるので、日常生活には事足りませんが、何か『こだわり』を持つ商品やサービス品がないの事には閉口します。そして、地方の生活になくてはならないのは車です。金沢市も盛岡市も、中心部のバスのダイヤは素晴らしく発達していますが、ちょっと郊外になると、30分に1本になったりして使えたものではありません。地方に引っ越して悲鳴を上げる人は、車の運転が苦手な人や、運転免許証を持ってない人だと思います。運転免許証を持っていて、ポンコツであっても車を持っていれば、県庁所在地レベルの都市であれば、そんなに生活には困りません。ただし、『こだわり品』のような贅沢は言えないという事ですね。そういえば最近、日本の人口が三大都市圏に住んでいる割合が50%以上を突破したという報告を聞きました。それは、近頃の自動車の国内販売の落ち込みと無縁ではなさそうです。都市圏では月極め駐車場の料金が高い上、電車や地下鉄が充実しているので、車を持つ必要性がないのです。地方では一家に2台以上の車を所有している家は珍しくありませんが、少子高齢化でそんな世帯も減ってきているのでしょう。また、若者は雇用を求めて都市部に移住するので、ますます車は必要性がなくなります。このままでは世界のトヨタも、自国の国内市場に見切りをつけるのは時間の問題となりそうです。
10月20
10月19
この前、大阪で食い倒れしてから1.5キロ太りましたが、やっと今日の朝、体重が戻りました。1.5キロ落とすのに5日かかりました。実は私は、毎朝体重を計測しています。それは、無類の服好きであるためで、これまで買い集めた服が着れなくなる事への恐怖感からです。そのため、私は高校生の時から服のサイズが変わっていません。10年以上前に買ったタキシードも普通に着れますよ。私は持っている服を着れるようになるため体型をキープする事が目的ですが、女の子は違うようです。私は痩せ過ぎて、サイズが小さく変わってしまうしまう事も、持っている服が全部駄目になってしまうので嫌ですが、女の子はそれでも良いと大多数の人が言います。なぜなんだろう…と思ってファッション雑誌を見ると…女の子の服は流行が早く、古着の如くとっておいても仕方無いという事と、基本的に男性の服より値段が安いという事があります。確かに、去年着ていた服が流行遅れになってお払い箱になるのだったら、以前より小さいサイズにチャレンジという事になるでしょう。
雑誌penで、『一冊まるごと、現代アート入門!』という特集があったので、読んでみました。
内容は私が10代の頃から大好きだったアーティストで一杯でした。
難解と思われるコンテンポラリー・アートも、60年代末の段階でやり尽くされた感があります。
最後は街中で前衛パフォーマンスするなど身体を張ってする所まで、やってます。
実際、絵画やオブジェなどの作品を制作しても、何をやっても、何処かで誰かが同じ事をやっているという感覚に陥ります。
私の場合は、最初から『売るのを前提にしない絵』を描いているので、かなりインディーズ志向です。だけど、誰かに見てもらわないと芸術として完結出来ないので、東京の美術館で展示したり、個展をやったりします。
表現者は、表現者と観賞者の二者が関係がある事で完結します。
観賞者が居なければ、作品はただの練習やメモになってしまいます。
芸術は観賞者という人の前に、作品を晒す事です。
だから芸術家は晒す人の事をいいます。
しかし、コンテンポラリー・アートは、受け取り手のリテラシーの高低で判断するという事があります。
私は気が付いたら、10代の時からコンテンポラリー・アートに夢中になっていて、penでも取り上げた芸術家達の大ファンでしたが、それを分かち合える相手が居なくて、当時は『何で分からないだ!』という気持ちで一杯でした(笑)。
アートは一種のメッセージや思想のようなものです。
21世紀になって、コンテンポラリー・アートが普及した感じがしますが、大衆がその思想やメッセージをどこまで理解出来ているか怪しいと思います。
何となく、ファッションみたいに受け取られているような気がします。
雑誌penの特集は、絵描きの私から見ても、本格的なアーティストをしっかり取り上げているので、現代アートについてリテラシーがない方には、現代アートに触れる格好の機会となると思います。
※この記事は、2017年6月29日に、投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
10月17
10月16
10月15
The Willardのライブのために、大阪はアメリカ村三角公園のそばにあるCLUB DROPに行きました。このライブハウス、一発で気に入りました。このライブハウス、他のライブハウスとちょっと構造が違うのです。普通のライブハウスは出入口が一番後ろにありますが、何とここはステージに対し、真横に入口があります。また、出入口が若干前よりにあるので、込み合っている開演直前に入ると、必然的にスピーカーの近くに行かざるを得ません。自分の4m先には縦に重ねられた巨大スピーカー2個ですよ。殆んど、ラジカセのスピーカーに耳を付けて聴いているのと同じようなものです。いや、それ以上です。帰りの空港で聞いた、離陸時のジェット機の爆音と同じ音圧でした。『ロックは耳の自傷行為である』、これは私のロックに対する考え方です。ロックのライブへ行って聴くという行為は実質、鼓膜を酷使して恍惚感を得るという、いわばマゾヒティックな行為であると思います。今回のCLUB DROPにおけるThe Willardのライブは、それを強く感じさせました。
10月14
10月13
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