Syd Barrett

シド・バレット(2006年-1946年:本名ロジャー・キース・バレット)は元来、陽気で情熱的性格を持ち合わせていた。
幼少から、芸術的才能を持ち合わせ、ロンドン芸術大学で絵画を学んでいた。
ドラッグへの憧れは若年の頃からあり、やがてLSD-25にのめり込むようになった。

ピンク・フロイドとして、バンド活動をしている頃には相当な量のLSD-25を服用していたと思われる。
そのような中で、彼が21歳の時の1967年5月にセカンドシングル“シー・エミリー・プレイ”をリリースしたが、その直前にから目に精気がなくなり、人が変わってしまったようであったとバンドのメンバーは証言している。
知人の顔も解らなくなるような状況になってしまう。
6月にはステージで両腕を下げたまま、演奏しなくなった。
そして、10月アメリカ巡業で、その症状は更に悪化した。
テレビの収録の際に口パクをしなければならないのに直立不動で何もしなかっり、ステージに上がる事を散々拒むなど状態となり、結局アメリカツアー断念してしまった。

11月には強引に第三弾シングル、“アップル・アンド・オレンジズ”は、バンドやシドのひどく混乱した状態を露見させただけだった。
そのような中で、精神科の治療を受けさせようとしたが、病識がなく治療を拒否していった。
そういった状況に誰もなすすべもなく、1968年1月にピンクフロイドを脱退した。

※この記事は、2016年3月21日に投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
※上の写真は書籍、"BRICKS IN THE WALL"に掲載されています。

カール ダラス
CBS・ソニー出版
1988-03