Paul Weller

イタリア、スペイン、イギリスの三国は、深く長い伝統に基づいた文化を築き上げています。
イタリアは、ファッションやスポーツカーなどに、顕著にそれが表れています。

スペインは、ピカソやダリ、ミロなどの偉大な芸術家を排出し、スペイン語は本国だけでなく、中南米など広い地域で公用語になっています。

イギリスは、音楽やファッションの流行の発信基地で、何よりも英語が世界の共通語にした功績は偉大です。
今や、サッチャー時代の不況から立ち直り、1人当たりのGDPは、日本を追い越してしまいました。
この三国の共通点は、過去に世界No.1になった経験がある国です。

言わば、先進国としての伝統がある国です。
日本が世界経済の表舞台に立ったのは、60年代からなので、先進国としての伝統は、僅か50年しかありません。

しかし、この三国は100年単位に渡る長き伝統があり、特にイタリアなどは、千年単位の伝統があります。
でも日本も、半世紀も経てば、そろそろ、そういった伝統が築き上げ上げられても良いかなと思います。

伝統がなければ、革新は絶対に生まれません。よく、『イギリスのような伝統的な国から、ビートルズやセックス・ピストルズのような人達が突然出て来るのは驚きだ』と言われますが、私は驚きません。
しっかりとした伝統に裏付けされた革新だからです。

ポール・ウェラーという人は、伝統と革新との間を激しく揺り動く人です。
成熟した国イギリスで、スーツ姿で革新的なロックを演奏している姿は、新しいのか、伝統的なのか解らなくなります。
ロックそのものも、伝統芸能になりかかっていた時代に、次々と新しいアプローチを試みる一方、その伝統に敬意を表したりします。

その姿は、イギリスにおいて、100年前の建築物に、リフォームを施して、最先端の内装にしてしまう センスに似ています。
目先の部分は最先端でも、その周囲は、伝統に裏付けられているので、文化として圧倒的な存在感を放ちます。

日本も、そんな成熟した国になる時が、やって来たのかもしれません。
高度経済成長期の世代は、もう孫まで授かり、その記憶は、日本人のDNAに、しっかりと刻まれています。
もう誰の眼から見ても、日本は新興国には見えません。
60年代から70年代初頭にかけて建築された、古いビル群を眺めていると、ついついそんな事を、考えてしまうのです。

※この記事は、2019年7月4日に、投稿当時の文章を損なわない程度に修正致しました。