今日は伝説のドラマー、The Who(ザ・フー)のキース・ムーンの話です。11月の、来日の話題で盛り上がっているザ・フーですが、キース・ムーンは居ません。1978年という遠い昔に亡くなっているからです。ザ・フーは、キース・ムーンが亡くなった後も契約のため、1982年まで活動を続行しますが、そのサウンドは似て非なるものになってしまいます。それ程 キース・ムーンの存在は大きかったのです。ザ・フーのメンバーは、ソングライターのピート・タウンゼントが有名ですが、それ以上にドラマーのキース・ムーンが有名です。
 全盛期のキース・ムーンの映像を観ると、千手観音のように素早くドラムを叩いている様子が観れます。あまりの気迫と凄みに、観ている方まで、その気迫に負けてしまう程です。特にザ・フーの初期の頃の曲など、殆どドラムの音しか聴こえないと言っても過言ではありません。
 彼がザ・フーに加入するきっかけは、キースがまだ加入する前のザ・フーのライブの時、突然ビール片手に全身黄色い服を着たキース・ムーンが、『俺の方が巧く叩ける』とステージ向かって言って来て、試しにドラムを叩かせると、ドラム・キットを叩き壊した後、ステージ上に吐瀉物を、撒き散らして倒れた事が、メンバーに気に入られたからです。
 その逸話からも分かる通り、キース・ムーンは破天荒なキャラクターとしても有名です。ステージでは、ギターを破壊させるピート・タウンゼントのパフォーマンスに感化され、ドラムキットを蹴散らして観客席に投げ込んだりします。オフステージでは、パーティーで悪乗りの末に、全裸になる事は日常茶飯事でした。彼の21歳の誕生パーティーの時にロールスロイスを運転してプールにダイブして沈めたという逸話も残っています。また、テレビのバラエティー番組にザ・フーが出演した際、ドラムキットを破裂させる場面で、テレビ局のスタッフに、火薬を増量させるよう賄賂を渡し、大爆発させたというエピソードもあります。その映像は今でも残っていて、爆風でバンドのメンバーが吹き飛ばされる様子を観る事ができます。そんなキース・ムーンのキャラクターは、センセーショナルなバンドのイメージにぴったりです。
 その一方でドラムについては真摯で、その名プレイは、今でもCDやDVD聴く事が出来ます。
 キース・ムーンの死因は、よくドラッグと言われますが、ドラッグではなく、抗酒薬ジスルフィラム(アンタビュース)を服用して飲酒したためです。ジスルフィラムは肝臓のアセトアルデヒド脱水素酵素を阻害させる作用があります。アセトアルデヒドは飲酒によって体内で発生し、頭痛、吐き気、動悸などを誘発させる、いわゆる二日酔いの元凶となる成分です。通常は、肝臓のアセトアルデヒド脱水素酵素が働いて、アセトアルデヒドを水と二酸化炭素に分解するので、少々飲酒しても悪酔いしないのです。ジスルフィラムは、肝臓によるアセトアルデヒド脱水素酵素の働きを阻害させる事によって、極端なアセトアルデヒド中毒にさせてしまいます。その際に血管拡張による急激な血圧低下を惹起させる事もあります。その作用を利用して、アルコール依存症患者に『抗酒薬』として処方されます。
 ザ・フーの面々は、行く先々で大量に飲酒して乱痴気騒ぎを起こすことで有名でした。そのため、キース・ムーンだけでなく、ピート・タウンゼントまでアルコール依存症になってしまいます。そんなキース・ムーンにジスルフィラムが処方されている事は容易に推測が突きます。
 1978年9月7日、キース・ムーンは、ポール・マッカートニーが主催するバディ・ホリー生誕記念パーティーに、出席します。偶然その時の写真が残っていて、酔っ払って絶好調なキース・ムーンのジョークに、ウンザリしている、ポールとリンダのマッカートニー夫妻の姿が残されています。そして、大量飲酒した後、帰宅してジスルフィラムを服用して、その晩のうちに亡くなってしまいます。ジスルフィラムを、服用して大量の飲酒する事は、急激なアセトアルデヒド中毒に陥いる危険な行為です。推測ですが、キース・ムーンは、アセトアルデヒドによって惹起された血圧低下によって、抹消循環不全に陥り、脳への血流量が減少して、脳死に陥って亡くなったのでしょう。
 バンドのメンバーは、彼のその破天荒なキャラクターゆえ、葬式はジョークではないかと思ってしまいますが、悲しむキースの家族を見て本当の葬式だと悟ったそうです。
 もうキース・ムーンの素晴らしいドラムプレイは、CDを聴く事しかありません。興味ある方には、ザ・フーのファーストアルバム、“My Generation”がお薦めです。c9aaabab.jpg