国会議事堂

中川一郎氏は、1963年、北海道5区から衆議院議員総選挙に出馬し、初当選し、農林水産大臣、科学技術庁長官を歴任しました。
昭和57年11月、中川一郎氏は自民党総裁選に出馬し中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎の3氏と戦い、最下位で落選。
1983年1月9日、札幌のホテルのバスルームにて首吊り自殺している状態で、発見されました。
中川一郎氏が死去すると北海道5区から、同氏の第一秘書である鈴木宗男氏(現・新党大地)と、同氏の長男である昭一氏と骨肉の争いを演じ、マスコミを賑わしました。
中川一郎氏の長男、中川昭一財政・金融大臣は、ローマG7における、 ろれつが回らない状態での記者会見の映像が世界中に配信され、2009年2月17日辞任しました。

中川昭一氏のローマG7会見と辞任騒動で、中川一郎氏のことが、頭をよぎったのは私だけではなかったでしょう。
タカ派議員で有名であった、中川一郎氏は、息子のために日本の威信を傷つけられ、雲の上ではガックリしているのではないでしょうか?

『骨肉の争い』を演じた二者を、長時間的視野で観ると、鈴木宗男氏は2002年、ムネオハウスの建設をめぐる疑惑で失脚し、中川昭一氏は今回の騒動で財政・金融大臣を辞任するなど、展開としては思いもよりません。

やはり政治は闇です。