あるアートとは縁もゆかりもない方々と、飲み屋で話していたら、『芸術活動をするということは、一般的ではない。君はなぜそんな一般的でないことをするのか?』と聞かれました。
これは、答えに窮しました。
それは、哲学的な問題だからです。
作品を制作するには、知力、体力、精神力を要するので、決して楽なことではないのです。
どちらかと言うと、制作するよりも、飲み屋で飲んだり、レストランで食事する方が好きです。
なぜ、そんな大変なことを続けるのでしょうか?
結局、色々お話するうちに、私自身の内面に、そういった要素があるからであるという結論に達しました。
確かに私は通常の人が、『分からない』と匙を投げるような、現代美術の作品を喜んで見ています。
私は16歳の時から、小難しい美術書からロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、エデュアルド・パオロッティなどの現代美術の作品を探し出して、心躍らされていました。
それは、誰かに教えられたのではなく、単純に自分で『良い』と思っただけです。
私が、それらの図録を見せて『これ良いよ』と勧めても、同級生達は、ぽかんとしているだけでした。
今考えると、その時点で一般的でなかったのかも知れません。
でも、そんな一般的でない、それらの作品を、『良い』と感じることは、どこでも教育を受けてません。
現代社会の日々の生活を繰り返すうちに、そうなっただけなのです。
それは、紛れもなく内面的な感覚なのです。
そんな感覚が、教育も受けてないのに、どうやって身に付いたのか私自身も聞きたい位ですね。

3c8ce7ab.jpg


写真は、富山大学芸術文化学部教授・美術評論家、伊藤順二氏の若き日の著書です。偶然、私持ってました。