★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018富山国際現代美術展に参加。

東日本大震災

東日本大震災直後のブログの更新

ブログネタ
3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
間もなく、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震 )から2年が経ちます。
私は岩手県の盛岡市に住んでいます。
ですから、東日本大震災の地震の揺れからは逃れようがありません。

盛岡市は内陸なので、津波の被害もなく、地震の揺れも、首都圏と同じ震度5弱でしたので、建築物が倒壊するような大きな被害は、目の当たりにしませんでした。
しかし、問題は停電で、地震発生直後から、翌3月12日の16:00過ぎまで続きました。

そして、どんなことがあっても毎日ブログを更新している私。
3月11日当日には前日の10日に記事を書いて、0:00に予約投稿し、3月12日は18:21に投稿することが出来ました。
幸い一日も欠けることなく投稿が出来ました。
3月12日は18:21に投稿したのは、前述のように3月12日の16:00過ぎまで停電だったからです。
やはり、停電だとブログの投稿は難しかったです。
電気がやっと通じ、震災後の最初書いた3月12日ブログの文章が下記です。

『地震はまさに、日本沈没すると感じました。
停電は本当に困りました。』
2011年3月12日18:21の投稿です。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/51232879.html

たったこれだけです。
これ以上は書けませんでした。
正直、この日は電気が通じた喜びと、震災の状況の情報収集するだけで、とてもブログどころではなかったからです。

私はAUとソフトバンクの携帯電話を持っていましたが、AUは停電が解消されてからやっと電波が通じました。
ソフトバンクは、震災後もギリギリ微弱な電波が通じたり途切れたりしていましたが、充電が出来ないので、電池の残量を温存するために時々電源を入れてTwitterをチェックする程度で精一杯でした。
充電されているノートパソコンでも、LANが使い物になりませんでした。
ですから、電気が通じるまでブログに更新は出来ませんでした。

『でも、何としてでも可能であれば、ブログを更新したい』

やっと更新したブログの文章が、上記の3月12日の文章です。
そして、震災について冷静に考察して書き始めたのは、3月13日以降からです。
それは、停電で震災についての情報が停電で充分に伝わらなかったからです。
震災当日から翌日電気が通じるまでは、震災の情報を得るには、ラジオとカーナビのワンセグ、時々携帯電話の電源を入れてTwitterを覗くしか方法がありませんでした。
だから、震災当日のテレビのニュースも、短時間だけカーナビのワンセグを見ただけで殆ど見てません。
携帯電話のワンセグも一瞬だけ見ましたが、可能な限り電池の残量を温存するために、すぐやめました。
震災の被害の全容を掴むのは、電気が通じてからテレビを見れるようになってからなのです。

東日本大震災は、様々な意味で、教訓になるような体験を得たように感じました。

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私の友人、ピーターラビット号

ピーターラビット号は長年の私の友人です。
2000年の5月、金沢のディーラーの中古車展示場で、一際目立っていた1996年式のブリティッシュレーシンググリーンのMGF。
それが、ピーターラビット号と私の出会いです。
試乗では、エンストしてしまいましたね。
納車は6月で雨の日でした。
そして、その小さくてすばしこい走りっぷりから、“ピーターラビット号”と名付けました。

その後、何度も故障しながらも、いつもピーターラビット号と一緒でした。
金沢だけでなく、石川県中をピーターラビット号で走りました。
時には富山や福井に遠征もしました。
好きなバンドのライブも、ピーターラビット号で行きました。
JR金沢駅の、もてなしドームの完成もピーターラビット号で拝見しました。

盛岡に転居した時は、車載車で運んでもらいました。
引っ越したばかりで、道路を覚えるのもピーターラビット号でした。
家族が入院した時も、ピーターラビット号で、お見舞いに行きました。
そして東日本大震災でも無傷で、停電で信号が消えた街中をピーターラビット号で走りました。
停電の中で震災のニュースも、ピーターラビット号のカーナビのワンセグで見ていました。
そして、現在もピーターラビット号は、私と共に行動しています。

MGF

なぜビートルズだけ

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3月11日の東日本大震災の本震では、私のCDや靴のコレクションが、棚から落下しました。
その後、落下物の整理をする際、同時に余震対策をしました。
そのため、4月7日の余震ではあまり落下した物はありませんでした。
でも4月7日の余震では、なぜかビートルズ関連のCDだけ落下しました。
なぜビートルズのCDだけ落下したのでしょう?
謎です。

東北地方太平洋沖地震・地震発生から1週間経って

18日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生から1週間経ちました。
17日は、矢郷良明さんにお願いして、FMいみずの
“矢郷良明 RADIOアグレッシヴ”の番組で私のBlogを読んでいただきました。
射水市の方にも、私の思いは伝わったことでしょう。

災害と計画停電で、日本は手痛い打撃を受けています。
これは、ただ事ではないと実感しています。
ひょっとしたら、阪神淡路大震災、中越地震以上の災害だと思われます。
何しろ、首都圏で計画停電が実施されることは、これまでありませんでしたからね。

でも、いつまでも悲しんだり、嘆いたりしていても、仕方ないと思います。
もう、前進あるのみだと考えています。

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東北地方太平洋沖地震・スーパーの商品が…

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から6日経った17日、盛岡は氷点下4℃まで気温が下がりました。
前日から雪も降っています。
いつも、この時期には、こんな気温は下がらないのですけどね。
灯油が不足しているので、灯油で暖房している方は、シャレになりません。
避難所に避難している方々を思うと、気の毒です。

街中を歩くと、ガソリン不足のためか、郵便物を配達するバイクが、自転車に変わっていました。
そうです!
あの年賀状の配達に使われるあの赤い自転車にです。
ついに、ここまで来たかと思います。

ガソリン不足は、シャレにならないほど、深刻です。
全国から送って戴いた、支援物資は、盛岡近郊の滝沢村の産業文化センターという、広いアリーナに一旦集荷されますが、それ以後に各避難所に運ぶ燃料がない状況になっています。
岩手県は、四国に迫るほどの面積がある県なので、集荷された後が問題になるのです。
物流が燃料不足で途絶えているのです。

私も、17日はスーパーの列に並びました。
入り口の前で入場制限がかかっているのです。
スーパーに並ぶ列は、横3列並んでいて、コンサートの時のように少しずつ入場して行きます。
私が行った時は、午前中だったので列は長くなかったですが、それでも20分ほど並びました。
商品は一品につき、一つという制限付きです。
野菜は思っていたより揃っていましたが、魚はいかにも冷凍物で、肉も色合いが微妙でした。
こんな時こそ、開き直ってビールでもくらおうかと思ったら、酒類の棚は、スカスカで、ハードリカーしか置いてませんでした。

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東北地方太平洋沖地震・ガソリン不足の結果

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から5日経った16日の盛岡は、市内の道路は車がガラガラで、コンビニは閉店しているし、スーパーは長蛇の列という状態です。
やっと開いてるコンビニを見つけて入ったら、売っているのは雑誌とタバコくらいしかなかったです。

とにかくガソリン不足が深刻で、職場に出勤出来ない方が続出しています。
ガソリンスタンドは、どこも売り切れです。
スーパーの方に聞いてみると、食材があっても、それを運送するトラックの燃料がないため、商品が入荷しないとのことです。
道路を走る車の台数は少なく、歩行者や自転車の姿が増えました。

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上の写真は盛岡市内の駐車場です。
この駐車場は、普段は満車になることが多い駐車場なのですが、ご覧の通りスカスカです。
白いフェンスの向こうは、道路なのですが、白い軽ワゴン車1台しか走っていません。
いつも、この道路は渋滞が頻発する所なのですよ。

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上の写真は、自衛隊車両がズラリと並ぶ岩手県庁の様子です。

東北地方太平洋沖地震・ガソリン不足で…

東北地方太平洋沖地震発生後より4日経った15日、盛岡の空に、あれだけ飛び交っていたヘリコプターの音が少なくなりました。
恐らく、ヘリコプターは、負傷者が多かった沿岸部から盛岡のヘリポートに運び、それから各病院に救急車で搬送されたのでしょう。
とても、悲しいことですが、地震発生後より72時間以上過ぎた現在、地震と津波に巻き込まれて、瓦礫の中で、かろうじて生存者していた方も、生存している可能性は低くなっています。

比較的地震の被害が少なかった盛岡でもガソリンの入手が困難になり、13日の段階で3時間待って、5リッターのみの給油で、14日の段階でガソリンスタンドは、どこも終日売り切れで、緊急車両のみの給油となっています。
米や野菜があっても運送する車が走れなくなっています。
ゴミ収集車も燃料不足によってゴミ収集が中止になっています。
ガソリン不足が市民を直撃しています。

また、携帯電話は通じますが、『大変込み合っています』とアナウンスされる時があります。
もっぱら、メールによるやり取りが、連絡手段となっています。

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上の写真は、壁に寄せていたアップライトのピアノが、地震の揺れで壁から離れてしまった光景。
ピアノの下に付随している車輪はロックされていた状態でした。

東北地方太平洋沖地震・今、自分に何が出来るか?

東北地方太平洋沖地震の3日後の14日、盛岡上空はヘリコプターが飛び交っています。
度重なる余震のため、時折グラッ・グラッと来て、まるで飛行機に乗っているように感じます。
同日、盛岡のデパートのデパ地下では、地震の影響と思われるガス爆発があり、死傷者が出ました。
東京電力の福島第1原子力発電所などが受けた深刻な被害で、ついに計画停電の事態になりました。
東北地方太平洋沖地震の被害を要約すると、

1.マグニチュード9.0という未曾有の巨大地震による被害
2.広範囲に及ぶ津波の被害
3.原子力発電所の被害

ということになります。 
まさに日本の終わりであるかのようです。
直接的な地震の被害だけでなく、計画停電による間接的な経済損失は膨大で、GDPに影響を及ぶのは確実です。
でも、そんな時こそプラス思考が大切であると思います。
『今、自分が必要とされている。今、自分に何が出来るか?何をしようか?』と考えることが大切です。

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写真は東北地方太平洋沖地震が発生して約2時間後の3月11日、午後4時50分頃の盛岡大通商店街の1コマです。
降りしきる雪の中で居酒屋さんが炊き出しをスタートさせています。
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