★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018富山国際現代美術展に参加。

盛岡

ジェフ・ベックのライブに行って来ました

Loud Hailer

28日、ジェフ・ベックの盛岡公演のライブに行って来ました。
ジェフ・ベックのライブは、これで2回目です。

ジェフ・ベックのライブは、ベックのギターが中心で歌は入らない印象がありますが、最新アルバム、“Loud Hailer”がボーカル中心であったためか、歌ものが多いライブでした。
バンドのメンバーは、“Loud Hailer”で参加した、女性ギタリストのCarmen Vandenbergと、女性ボーカリストのRosie Bonesが加わりました。
そして、Jimmy Hallもボーカルとハープで加わってます。

因みに“Loud Hailer”は、昨年リリースされたアルバムの中でも、私、お気に入りの一枚となっています。

ライブは何と、ジャケットのようなPAに接続したハンドマイクで、Rosieが歌って来たのです。
しかも、Rosieは客席の脇から登場してビックリです。
私の数メートル先にRosieが居たので、そのオーラが伝わりました。

Rosieさんの歌声は、CDではハスキーな印象でしたが、ライブではCDよりも澄んだ歌声で、コケティッシュな魅力を振りまいていました。
歌声を聴いて、レコーディングのために声をわざと枯らして臨んだのではないかと憶測してしまいました。

ギタリストのCarmenさんはずっとライブで、ギターを弾きっぱなしでしたが、この若い女性が2人が居るだけでステージが、ぱっと華やかに見えてしまうので不思議です。

入れ替わりに、元Wet WillieのJimmy Hallが歌うと、今度はステージが野郎な空気に変わってしまうので、これも不思議な現象です。
Jimmyさんは、ロッド・スチュアートばりのハスキー・ボイスで、"Mornig Dew"を歌っていまして、大盛り上がりです。

もちろん、ジェフ・ベックのライブの定番曲も演奏しており、“Beck’s Bolero”は、素直に感動致しました。
ベックのギターは、ベロアの生地のようなエレガントな輝きを放っていました。

今回の公演で本当に、ジェフ・ベックはマンネリに陥らずに、常に新しい要素を取り込んでいるロック・ギタリストであると痛感致しました、

Jeff beck

上の写真は、開演前のステージの様子です。
写真の通り、一階の比較的に前の席だったので、音は爆音でしたよ。

それにしましても、ジェフ・ベックのようなグラミー賞を受賞しているロック・レジェンドの日本公演が、盛岡公演であった事が謎です。

そう言えば、4年前に来日した時は仙台ではなく、盛岡の公演でした。
今回は、仙台は入っていますが…。
盛岡が気に入っているのでしょうか?
今回またジェフ・ベックの公演を聴くことが出来た私は、幸せです。

Loud Hailer
Jeff Beck
Rhino
2016-07-15

ミッドセンチュリー建築

ビル
















近頃は、なぜか掃除にハマり、雑巾を持ってマンションの部屋を右往左往している几帳面人間な日々を送っています。
キレイな部屋で、ワインを味わうと、また格別です。

私の一族は、年齢を重ねると几帳面になる傾向にあるようです。
年齢が若い頃は、ズボラで汚い部屋でも気にならないのですが、なぜか年齢を重ねると几帳面に…。
この理由は、いまだに謎です。
子供の頃は、自分の親が、なぜこんなに几帳面なのか不思議に思っていましたが、私も今や几帳面人間になっています。

写真は、私のマンション…ではなくて、盛岡にある建築家の菊竹清訓氏の作品、『岩手教育会館』です。
一見、細くて狭いビルのように見えますが、何と1階はコンサートホールになっていて、上階にオフィスが構える構造になっています。
菊竹清訓氏の手による代表的な建築物は、大阪万博の『エキスポタワー』や、沖縄海洋博の『アクアポリス』、かつて'90年代に上野にそびえていた高層建築『ホテル・ソフィテル東京』などが有名な作品です。
なぜか全て現存しないのは、耐震性の問題があるからなのでしょうか?
菊竹清訓氏の作品で共通するのは、レゴで組み立てたようなブロック的な意匠が特徴です。
この写真の『岩手教育会館』も、レゴを積み重ねたように上階が出っ張っています。

でも、この『岩手教育会館』、外見もさることながら、内部もかなり年代がかって来て、傷んで来ている印象です。
このままでは、ただのボロいビルの一軒になりそうな気がします。
何より、日本の国民が1940年〜1960年代のミッドセンチュリー期の建築物に関して敬意が少ないように思われます。
もうそろそろ、この時期の建築物を、保存の方向で大切に扱っても良いように思うのですが…。
この時期は、日本が高度成長期だったので、“ビルヂング”が大量に建築された事情は分かります。
でも、せめて著名な建築家の作品くらいでも、歴史的建造物として、後世に残す価値はあるように思うのですが…。

安心しました

風景













本日は、盛岡の最低気温は氷点下2.1℃。
数日前の週間予報で、本日の最低気温が氷点下6℃だったので、外れて安心しました。
後日でのウエザーニュースの週間予報では、おおむね最低気温が2℃で維持していくようなので、やれやれとしました。
まだ寒いですが、さすがに寒さの勢いが弱まるようです。


なかなか暖かくならない

雪
















21日の盛岡は雪が降っています。
テレビで東京で桜が開花したとニュースで報道されても、別世界のようでピンと来ません。
ウェザーニュースの天気予報で、21日の盛岡の最低気温は氷点下3.7℃です。
暑さ寒さも彼岸までのはずじゃなかったのでしょうか?

因みに、ウェザーニュースによると、21日の東京の最高気温は20.6で、盛岡の最低気温氷点下3.7℃と比較すると24.3℃も違います。
今年の盛岡は、なかなか暖かくならないくて、首都圏との気温差が激しいです。
例年、3月20日を過ぎると、私も、もう少し薄着なのですけどね…。

ちなみに、下の写真は、ちょうど1年前の昨年の2月11日の私の写真です。
一般的な厚みのレザージャケットにマフラーをしています。
今年は、この服装では、寒くて歩けないです。

SN3O1361











本日は、最近このBlogでお馴染みの、ボアが付いた厚手のレザージャケットを着ています。

レザージャケット

3月なのに氷点下6.6℃

寒い!
とにかく寒いです。
もう3月も中旬になると言うのに、11日の盛岡の最低気温は、氷点下6.6℃でした。
街を歩いて出勤している方々も、ダウンコートの姿が目立ちます。
今年の3月は、なかなか暖かくならないです。
例年の3月は、もっと薄着なのですけどね。

週間予報を見ると、今週一杯は氷点下5℃の日が続くようです。
どちらかと言うと、夏より冬の方が好きな私ですが、もういい加減に寒さはウンザリです。
と言うか、3月って春だったような気がしますけど…。

大通3丁目

東日本大震災直後のブログの更新

ブログネタ
3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
間もなく、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震 )から2年が経ちます。
私は岩手県の盛岡市に住んでいます。
ですから、東日本大震災の地震の揺れからは逃れようがありません。

盛岡市は内陸なので、津波の被害もなく、地震の揺れも、首都圏と同じ震度5弱でしたので、建築物が倒壊するような大きな被害は、目の当たりにしませんでした。
しかし、問題は停電で、地震発生直後から、翌3月12日の16:00過ぎまで続きました。

そして、どんなことがあっても毎日ブログを更新している私。
3月11日当日には前日の10日に記事を書いて、0:00に予約投稿し、3月12日は18:21に投稿することが出来ました。
幸い一日も欠けることなく投稿が出来ました。
3月12日は18:21に投稿したのは、前述のように3月12日の16:00過ぎまで停電だったからです。
やはり、停電だとブログの投稿は難しかったです。
電気がやっと通じ、震災後の最初書いた3月12日ブログの文章が下記です。

『地震はまさに、日本沈没すると感じました。
停電は本当に困りました。』
2011年3月12日18:21の投稿です。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/51232879.html

たったこれだけです。
これ以上は書けませんでした。
正直、この日は電気が通じた喜びと、震災の状況の情報収集するだけで、とてもブログどころではなかったからです。

私はAUとソフトバンクの携帯電話を持っていましたが、AUは停電が解消されてからやっと電波が通じました。
ソフトバンクは、震災後もギリギリ微弱な電波が通じたり途切れたりしていましたが、充電が出来ないので、電池の残量を温存するために時々電源を入れてTwitterをチェックする程度で精一杯でした。
充電されているノートパソコンでも、LANが使い物になりませんでした。
ですから、電気が通じるまでブログに更新は出来ませんでした。

『でも、何としてでも可能であれば、ブログを更新したい』

やっと更新したブログの文章が、上記の3月12日の文章です。
そして、震災について冷静に考察して書き始めたのは、3月13日以降からです。
それは、停電で震災についての情報が停電で充分に伝わらなかったからです。
震災当日から翌日電気が通じるまでは、震災の情報を得るには、ラジオとカーナビのワンセグ、時々携帯電話の電源を入れてTwitterを覗くしか方法がありませんでした。
だから、震災当日のテレビのニュースも、短時間だけカーナビのワンセグを見ただけで殆ど見てません。
携帯電話のワンセグも一瞬だけ見ましたが、可能な限り電池の残量を温存するために、すぐやめました。
震災の被害の全容を掴むのは、電気が通じてからテレビを見れるようになってからなのです。

東日本大震災は、様々な意味で、教訓になるような体験を得たように感じました。

b59a3444.jpg

今季の冬は…

本当に今季の冬は、どうかしています。
もう2月も終わりそうだと言うのに…。
下の写真は24日昼頃の盛岡の写真です。
今朝25日の最低気温は氷点下9℃にもなりましたよ。

名称未設定

2月も後半になると言うのに…

23日は、毎朝恒例の体重測定で、今年ベストの値でした。
この所、朝食を重くし、昼食も早めの時間に摂る作戦が功を奏した印象です。

2月も後半となるのに寒い日が続きます。
今年の冬の気象は酷だと本当に思います。
私は暑いのが苦手なので、これまで金沢や盛岡のような寒い地方都市を点々としていましたが、そんな私も音を上げそうです。

Freelander2

気分転換してきました

セルフ














ホテルやショッピングで気分転換してきた私です。
やはり、気分転換は重要です。
いつも見慣れた景色も、何故か新鮮に見えてきます。

いつも、気分転換しているようにって見えるって?
そんなことないですよ。
でも、盛岡の街って本当に寒いと再認識しました。

テレビ

私の友人、ピーターラビット号

ピーターラビット号は長年の私の友人です。
2000年の5月、金沢のディーラーの中古車展示場で、一際目立っていた1996年式のブリティッシュレーシンググリーンのMGF。
それが、ピーターラビット号と私の出会いです。
試乗では、エンストしてしまいましたね。
納車は6月で雨の日でした。
そして、その小さくてすばしこい走りっぷりから、“ピーターラビット号”と名付けました。

その後、何度も故障しながらも、いつもピーターラビット号と一緒でした。
金沢だけでなく、石川県中をピーターラビット号で走りました。
時には富山や福井に遠征もしました。
好きなバンドのライブも、ピーターラビット号で行きました。
JR金沢駅の、もてなしドームの完成もピーターラビット号で拝見しました。

盛岡に転居した時は、車載車で運んでもらいました。
引っ越したばかりで、道路を覚えるのもピーターラビット号でした。
家族が入院した時も、ピーターラビット号で、お見舞いに行きました。
そして東日本大震災でも無傷で、停電で信号が消えた街中をピーターラビット号で走りました。
停電の中で震災のニュースも、ピーターラビット号のカーナビのワンセグで見ていました。
そして、現在もピーターラビット号は、私と共に行動しています。

MGF
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