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3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
間もなく、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震 )から2年が経ちます。
私は岩手県の盛岡市に住んでいます。
ですから、東日本大震災の地震の揺れからは逃れようがありません。

盛岡市は内陸なので、津波の被害もなく、地震の揺れも、首都圏と同じ震度5弱でしたので、建築物が倒壊するような大きな被害は、目の当たりにしませんでした。
しかし、問題は停電で、地震発生直後から、翌3月12日の16:00過ぎまで続きました。

そして、どんなことがあっても毎日ブログを更新している私。
3月11日当日には前日の10日に記事を書いて、0:00に予約投稿し、3月12日は18:21に投稿することが出来ました。
幸い一日も欠けることなく投稿が出来ました。
3月12日は18:21に投稿したのは、前述のように3月12日の16:00過ぎまで停電だったからです。
やはり、停電だとブログの投稿は難しかったです。
電気がやっと通じ、震災後の最初書いた3月12日ブログの文章が下記です。

『地震はまさに、日本沈没すると感じました。
停電は本当に困りました。』
2011年3月12日18:21の投稿です。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/51232879.html

たったこれだけです。
これ以上は書けませんでした。
正直、この日は電気が通じた喜びと、震災の状況の情報収集するだけで、とてもブログどころではなかったからです。

私はAUとソフトバンクの携帯電話を持っていましたが、AUは停電が解消されてからやっと電波が通じました。
ソフトバンクは、震災後もギリギリ微弱な電波が通じたり途切れたりしていましたが、充電が出来ないので、電池の残量を温存するために時々電源を入れてTwitterをチェックする程度で精一杯でした。
充電されているノートパソコンでも、LANが使い物になりませんでした。
ですから、電気が通じるまでブログに更新は出来ませんでした。

『でも、何としてでも可能であれば、ブログを更新したい』

やっと更新したブログの文章が、上記の3月12日の文章です。
そして、震災について冷静に考察して書き始めたのは、3月13日以降からです。
それは、停電で震災についての情報が停電で充分に伝わらなかったからです。
震災当日から翌日電気が通じるまでは、震災の情報を得るには、ラジオとカーナビのワンセグ、時々携帯電話の電源を入れてTwitterを覗くしか方法がありませんでした。
だから、震災当日のテレビのニュースも、短時間だけカーナビのワンセグを見ただけで殆ど見てません。
携帯電話のワンセグも一瞬だけ見ましたが、可能な限り電池の残量を温存するために、すぐやめました。
震災の被害の全容を掴むのは、電気が通じてからテレビを見れるようになってからなのです。

東日本大震災は、様々な意味で、教訓になるような体験を得たように感じました。

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