5月3
5月2
今日は、絵描きの日記という題名通りにアートの話です。ハイレッドセンターとは、高松次郎氏、赤瀬川原平氏、中西夏之氏の3氏が60年代初頭の若き日に活動した前衛アート集団です。『高』『赤』『中』を英訳して、ハイレッドセンターです。一体どんな事をした人達かというと、突然銀座の歩道で無意味な清掃活動し始めたり、ビルの屋上から物を落とすイベントをしたり、自分達の晩餐を何も食べてない観客に見せ続けるなど、突拍子もないパフォーマンスが多いです。それを、後に直木賞受賞作家となった赤瀬川氏が、当時の写真と軽妙な文章で書いた『東京ミキサー計画』という本にまとめてあります。この本は本当に大好きで今までに何度読み返したか分かりません。ミキサー計画とは、平凡な日常的な風景の中で、突如非日常的なパフォーマンスをすることによって撹乱させることを言います。芸術に必要なツール(画材、楽器など)を使わない反芸術的なパフォーマンスですが、究極的な表現活動でもあるとも思います。何も芸術的ツールがない状態で、何か表現しろと言われたら、パフォーマンスをするなど体を張るしかありません。→続く
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5月1
5月1
強烈に女の子なバンドです。それもその筈で、6人のメンバー全員が高校を卒業したばかりということです。でも、彼女達が学祭バンドにならないのは、全曲オリジナルで、そこそこ本格的なスカを演奏するということです。どこかコミカルで、楽しく賑やかな感じは、この年齢の女の子達だから出来ることです。楽屋は、女の子のお喋りと笑い声で騒々しそうです。恐らくかなりの確率で、スナック菓子の袋が転がっていそうです。そんな屈託のない光景をそのままスカにしたような感じです。全ての曲を作曲し、ギターとボーカルという重要なポジションである、いかすの才能は光っています。そして、絶妙なセンスの歌詞を書くドラムのたえさんも才人です。彼女達のブログを読むと、ツアーは殆んど修学旅行みたいなノリで、そういったノリがこのバンドの魅力です。悩み大き日々を送っている方には特に彼女達の曲を聴いて、スカっとしてもらいたいです。
4月30
4月29
"I Can't Explain" (アイ・キャント・エクスプレイン)はThe Whoの最初のシングルで、彼らの代表的な曲の1曲です。
1965年初頭にリリースされ、当時では珍しいビデオクリップが作られ、UKチャートをじわじわ上昇していきました。
当時のイギリスでは、自前の曲で演奏するバンドは珍しく、ローリング・ストーンズでさえ、まだカバーを中心にやっている時代でした。
その時、The Whoのソングライターであるギタリストのピート・タウンゼントが作詞作曲したこの曲は、たちまち当時のロンドンの少年達の心をとらえました。
何故か女の子達には、今一受けませんでした。それはこの曲の題名に秘密があります。
"I Can't Explain"(説明できない)という感情は、口下手な男性ならば、そういった経験が一度や二度はあるはずです。
女性は洋の東西を問わずお喋りが好きな方が多いので、『説明できない』と思うことは少ないでしょう。
この曲で、少年の代弁者となったピート・タウンゼントは次々と『少年』をモチーフにした歌を書いていきヒットを飛ばすことになります。
1965年という時代はビートルズでさえ、ラブソングを中心に歌っていた時代です。野郎達の葛藤や悩みの歌など、ありそうでなかったことだと思います。
この曲をはじめ、ピート・タウンゼントが描く少年は、繊細なイメージが多く、マッチョな感じがしません。
それは、ピート・タウンゼントが戦争を経験していない世代のため、徴兵されて軍事教練を受けた親の世代のアンチテーゼのようにも見えます。
もはや徴兵のない少年達は、髪を刈ることもなく、長髪やファッションを楽しみます。
必要以上に男臭く振る舞う必要もありません。
それは彼らの親の世代には、なし得なかったことです。
だから、おしゃれなモッズ達に受けたのだと思います。
後年、ボーカルのロジャー・ダルトリーが役者の道に進んだのは、マッチョなロジャーが、ピートの繊細な曲を歌うには演技が必要であったからであると他なりません。
そうなるとすると、後の映画『トミー』の輪郭線は、この頃からおぼろげながらも出来ていた事になります。映画『トミー』は"I Can't Explain"から10年後の1975年に完成します。
※この記事は、2016年2月24日に投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
※写真は"I Can't Explain"が収録されているアルバム、"My Generation"です。
4月27
近頃、全国的に雨の日が多いですが、雨の日に私が思わず口ずさむ歌がビートルズのレインです。
この歌は聴いたことがある方はご存知かと思いますが、サビの節回しが“レ〜イ〜イ〜ェ〜ン”と中東風の節回しの歌です。
初めてこの曲を聴いたのが16歳の時で、その時の事を鮮明に覚えています。
ラジオから聴こえたその曲の中東風の節回しにも驚愕しましたが、曲の最後の英語ではない言語が朗々と流れてくる事にも驚きました。
後に最後の英語に聴こえない部分は、ジョンのボーカルトラックを逆回転させていることを知りますが、当時はそんなことは知り得ません。
一聴して『何だこれは!』という驚きと感動に満ちていました。
その曲が1966年の曲であることにまた驚きです。
レインはアルバムに未収録であることが更に私のマニア心に火を付けました。
後にこの曲を聴き込むようになって、ポールのベースが素晴らしく良い演奏であることに気が付きました。
まるで打楽器のようなポールのベースと、リンゴの味わい深いドラムが融合して何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
これがビートルズの一連の曲の一種の『化学反応』であると思います。
歌詞に関しても、ジョンの書いた哲学的な詞が、とても含蓄があり気に入っています。
因みに詞の内容は雨や晴れによって、人の心が移り気に変わっていく様を歌っています。
ビートルズの曲は多数あれど、この曲は未だに私のフェイバレット・ソングの一曲となっています。
※この記事は2016年4月14日に投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
4月26
渋谷のBunkamuraにて、『モディリアーニとジャンヌの物語展』を見てきました。私は人物画を描くので、同じ人物画を描く、モディリアーニの芸術性の高さや詩情豊かな表現が、痛い程よく伝わります。そして、そのモディリアーニと同棲し、子供まで授かったジャンヌの絵も展示されています。ジャンヌも風景画や静物画において、なかなか大胆な構図の絵を描いていて才能豊かな女性であったようです。よっぽどモディリアーニを愛していたのか、彼の死の直後に6階から身を投げ、22歳の若さで亡くなりました。そして、現在は二人共に同じ墓に埋葬されています。そのジャンヌもモディリアーニの絵のモデルとして描かれています。でも、ジャンヌはいつものモディリアーニのデフォルメは多用されておらず、彼女が特別な存在であったことが、伺い知れます。私は女の子の絵ばかり描いてくせに、女心がサッパリ解らないので、見習わないといけませんね。
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