2007年04月
4月30
4月29
"I Can't Explain" (アイ・キャント・エクスプレイン)はThe Whoの最初のシングルで、彼らの代表的な曲の1曲です。
1965年初頭にリリースされ、当時では珍しいビデオクリップが作られ、UKチャートをじわじわ上昇していきました。
当時のイギリスでは、自前の曲で演奏するバンドは珍しく、ローリング・ストーンズでさえ、まだカバーを中心にやっている時代でした。
その時、The Whoのソングライターであるギタリストのピート・タウンゼントが作詞作曲したこの曲は、たちまち当時のロンドンの少年達の心をとらえました。
何故か女の子達には、今一受けませんでした。それはこの曲の題名に秘密があります。
"I Can't Explain"(説明できない)という感情は、口下手な男性ならば、そういった経験が一度や二度はあるはずです。
女性は洋の東西を問わずお喋りが好きな方が多いので、『説明できない』と思うことは少ないでしょう。
この曲で、少年の代弁者となったピート・タウンゼントは次々と『少年』をモチーフにした歌を書いていきヒットを飛ばすことになります。
1965年という時代はビートルズでさえ、ラブソングを中心に歌っていた時代です。野郎達の葛藤や悩みの歌など、ありそうでなかったことだと思います。
この曲をはじめ、ピート・タウンゼントが描く少年は、繊細なイメージが多く、マッチョな感じがしません。
それは、ピート・タウンゼントが戦争を経験していない世代のため、徴兵されて軍事教練を受けた親の世代のアンチテーゼのようにも見えます。
もはや徴兵のない少年達は、髪を刈ることもなく、長髪やファッションを楽しみます。
必要以上に男臭く振る舞う必要もありません。
それは彼らの親の世代には、なし得なかったことです。
だから、おしゃれなモッズ達に受けたのだと思います。
後年、ボーカルのロジャー・ダルトリーが役者の道に進んだのは、マッチョなロジャーが、ピートの繊細な曲を歌うには演技が必要であったからであると他なりません。
そうなるとすると、後の映画『トミー』の輪郭線は、この頃からおぼろげながらも出来ていた事になります。映画『トミー』は"I Can't Explain"から10年後の1975年に完成します。
※この記事は、2016年2月24日に投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
※写真は"I Can't Explain"が収録されているアルバム、"My Generation"です。
4月27
近頃、全国的に雨の日が多いですが、雨の日に私が思わず口ずさむ歌がビートルズのレインです。
この歌は聴いたことがある方はご存知かと思いますが、サビの節回しが“レ〜イ〜イ〜ェ〜ン”と中東風の節回しの歌です。
初めてこの曲を聴いたのが16歳の時で、その時の事を鮮明に覚えています。
ラジオから聴こえたその曲の中東風の節回しにも驚愕しましたが、曲の最後の英語ではない言語が朗々と流れてくる事にも驚きました。
後に最後の英語に聴こえない部分は、ジョンのボーカルトラックを逆回転させていることを知りますが、当時はそんなことは知り得ません。
一聴して『何だこれは!』という驚きと感動に満ちていました。
その曲が1966年の曲であることにまた驚きです。
レインはアルバムに未収録であることが更に私のマニア心に火を付けました。
後にこの曲を聴き込むようになって、ポールのベースが素晴らしく良い演奏であることに気が付きました。
まるで打楽器のようなポールのベースと、リンゴの味わい深いドラムが融合して何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
これがビートルズの一連の曲の一種の『化学反応』であると思います。
歌詞に関しても、ジョンの書いた哲学的な詞が、とても含蓄があり気に入っています。
因みに詞の内容は雨や晴れによって、人の心が移り気に変わっていく様を歌っています。
ビートルズの曲は多数あれど、この曲は未だに私のフェイバレット・ソングの一曲となっています。
※この記事は2016年4月14日に投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
4月26
渋谷のBunkamuraにて、『モディリアーニとジャンヌの物語展』を見てきました。私は人物画を描くので、同じ人物画を描く、モディリアーニの芸術性の高さや詩情豊かな表現が、痛い程よく伝わります。そして、そのモディリアーニと同棲し、子供まで授かったジャンヌの絵も展示されています。ジャンヌも風景画や静物画において、なかなか大胆な構図の絵を描いていて才能豊かな女性であったようです。よっぽどモディリアーニを愛していたのか、彼の死の直後に6階から身を投げ、22歳の若さで亡くなりました。そして、現在は二人共に同じ墓に埋葬されています。そのジャンヌもモディリアーニの絵のモデルとして描かれています。でも、ジャンヌはいつものモディリアーニのデフォルメは多用されておらず、彼女が特別な存在であったことが、伺い知れます。私は女の子の絵ばかり描いてくせに、女心がサッパリ解らないので、見習わないといけませんね。
4月24
4月21日、渋谷クラブクアトロにて、ザ スタークラブの活動30周年の記念イベントに行ってきました。クアトロは、開演30分前から超満員でしたが、揃いも揃ってラバーソールやら、ドクターマーチンやらの靴を履いた人ばかりです。
やっと入場しても、限定CDを買うために長蛇の列に並ばなければなりません。
やっとCDを買ってロッカーに保存した所でSAの登場です。
SAは、このイベントの一発目を飾るのに相応しい、強力な音を出していました。耳も馴れていないせいか、このイベントで一番の大音響です。会場はモッシュ、ダイブの嵐で曲間はSAの連呼です。OiOi言う場面もありましたが、それ以上にダイブする人が多かったです。
そんな阿鼻叫喚なSAの登場の次にザ・ストラマーズの登場です。ツインギターのイントロがしばらく鳴り、ボーカルの岩田さんの歌が入ります。
これがまた岩田さんの声が素晴らしいんですよ。パンクな曲よりバラードを歌った方が良いのではないかと思う位に美声です。
バンドの演奏やコーラスがパンクな感じですが、岩田さんの歌が入ると途端にエレガントなムードになります。
どの曲でも岩田さんの歌が入るタイミングが絶妙で、そこら辺はよく練られている感じがしました。
そして、ザ ストラマーズが終わった後は、いよいよザ スタークラブの登場です。
スタークラブのライブは、もう何度も行きましたが、曲間でも余計な事を喋らず、矢継ぎ早にパンクな曲をマシンガンの如く演奏するのがスタークラブのライブの魅力です。
今回も30周年という記念イベントであるにもかかわらず、黙々と曲を連射していきます。
曲が終わっても『ワン・ツー・スリー・フォー』の掛け声で間発入れずに次の曲に入ります。驚く事は、いつどこでライブを聴いても、ぴったりと同じクオリティーの演奏で、ムラがないということです。
同じバンドのライブへ何度も行くと、日によって演奏のムラやアレンジの変更がありますが、スタークラブは金太郎飴のように均一に演奏します。
本編では一切MCなしで、アンコールでやっと30周年についてのコメントしました。
『あっという間の30年』という内容のコメントでしたが、またすぐに曲がマシンガンのように連弾されます。
これは、つべこべ言わず歌った方が説得力があるというHIKAGEさんの考えであると思います。
そして、最後にSAのTAISEIさん、ストラマーズの岩田さんもステージに上がり、パワー・トゥー・パンクスで壮大に締めくくられました。
4月23
4月22
このバンドについては情報不足です。何しろ、去年の8月に最初のシングルを出して、今年の2月にアルバムを出したばかりなので…。私は2月の終わりにアルバムを買って知ったところです。何かリバティーンズに雰囲気が似てるなぁと思ったら、リバティーンズのピート・ドハーティーに見い出されたらしい。ピートのバンド、ベイビー・シャンブルズのライブがある日に、自身の音源を持ってピートにアポなしでアタックしたとのことである。結果、その日からベイビー・シャンブルズのオープニング・アクトに抜擢されたとのことです。彼らは平均年齢18歳。若いということは素晴らしいと思います。あの、ピート・ドハーティーに直談判するなど、若さと度胸あってのものだと思います。意外なことは、数多くの問題行動で知られるピートが兄貴分を発揮していることです。ピートは音楽的にきちんとした目と、決断力と行動力があることが伺いしれます。The Viewの音楽は、リバティーンズをよりポップにした印象です。なので、場合によってはリバティーンズより売れる可能性もあります。しかし、リバティーンズの影響が多大であることも事実で、リバティーンズの影響から脱した時に、何が残るかが問題になります。→
続きを読む
続きを読む
4月21
去年、ブレイクしたバンドは、紛れもなくアークティック・モンキーズでしょう。
実は私はアークティック・モンキーズのファーストは好きでもなければ嫌いでもないという程度でした。
何しろストレートなロックアルバムは耳にタコが出来る程聴いているので…。
『リバティーンズのファーストの方がいいな』と思う程度でした。
(それは、あくまで好みの問題です)
しかし、先日リリースされたセカンドアルバムからシングルカットされた『ブライアンストーム』を聴いてビックリ。
タイトル曲も良いのですが、イギリスのラッパー、ディジー・ラスカルのラップをフィーチャーした曲が収録されていることに驚いたのです。
アークティック・モンキーズはメンバーの年齢が20歳そこそこです。古典芸能のようなストレートなロックをやらなくても良いはずです。
ヒップホップユニットやミクスチャー系、パンクっぽいものでも良かったはずです。
それだからこそ、ブレイクしたのだと思いますが…。
でも、このディジー・ラスカルをフィーチャーした曲は彼らの育った音楽環境を伺える一曲です。
きっと彼らの世代はイギリスでディジー・ラスカルを好んで聴いていたに違いありません。
そうなると、彼らは意図的に古典芸能的なロックアルバムを作った確信犯になります。
インタビューなどで、彼らの音楽の趣味を見ると多種多様で、いわゆるロック命のロックバカではありません。
その多種多様な音楽の趣味が、ここで出てきた形です。
だから、彼らのファーストアルバムは、わざと狙って、作ったロックアルバムになると思います。ファーストアルバムをレコーディングした時は19歳であっただろうから、それは末恐ろしい才能です。
※この記事は2018年9月2日に、投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
最新記事
人気記事(画像付)
Archives