2007年10月
10月31
10月30
私のレコードのコレクションに素敵な1枚が加わりました。フラソワーズ・アルディの“Sings of Love”これは、1964年当時にフランスで人気の新人歌手であったフラソワーズ・アルディをドーバー海峡の向こうのイギリスへプロモートしようとして、イギリス独自の編集盤です。だから、イギリス盤です。“Sings of Love”という英語の題名が付いてます。私はフラソワーズ・アルディのファンで、ほとんどアルバムやCDボックスまでを持っていましたが、こんなレア物は初めてです。私の心を打ったのは、そのジャケットの美しさです。当時19歳のアルディは、鮮やかな60年代っぽい柄のワンピースで歌っています。しかし、その表情はどこかアンニュイな雰囲気をたたえています。このフラソワーズ・アルディのイギリスでの売り込みは見事に成功し、アルディは仕事でパリとロンドンを何往復する事になります。まあアルディは当時、名門ソルボンヌ大学の学生で、英語が達者だった事もあるのでしょう。後に全編英語の歌詞のアルバムを自作で作詞するほどですからね。レコード会社のも英パイ(Pye)レコードもプロモート活動に必死なようで、1964年にしては珍しいステレオ盤勝負しています。→続く



続きを読む




続きを読む
10月29

押しも押されぬアイドル歌手となったフランス・ギャルに変化が訪れたのは60年代末からです。
フランスでの、アイドル歌手のブームそのものが過ぎ去ってしまいます。
YouTubeの映像も1969年頃からアイドル時代の映像が途絶えていきます。
レコード会社から契約を切られたからです。
'70年代初めのは不遇の時代が続きました。不遇の間、恋愛も経験してすっかり大人になったフランス・ギャルに、またチャンスが訪れたのは1975年です。
この年に音楽プロデューサーのミッシェル・ベルジェのプロデュースの元で再デビューしたのです。
この再デビューでは、安定したボーカルをみせ、プロフェッショナルなシンガーと変貌しています。
もう舌ったらずなボーカルは殆んど聴かれません。
1976年にミッシェル・ベルジェと結婚し、夫の才能と彼女の歌唱力で不動の人気を得ました。夫、ミッシェル・ベルジェは70年代末にロック・ミュージカル『スターマニア』をプロデュースしますが、その初代ヒロイン役をフランス・ギャルが務めています。その後も『スターマニア』は現在まで再演され、夫の代表作となっています。その後、80年代を通してシンガーとして安定した人気を得ていました。
80年代末には40歳を過ぎていましたが、あのフランス人形のようなベビーフェイス、健在でした。
その後、15年以上にわたる安定期も夫の急死で危うくなっていきます。
殆んどの楽曲を夫に依存していたからです。
しかし、その後も気丈に歌手活動を続けますが、1997年に子供が難病で亡くなってからは公の前から去っています。
2018年1月7日、70歳で乳癌のために他界し、夫のベルジェの元へ旅たちました。
フランス・ギャルの人生を振り返ると、陰と陽の振り幅が大きいように思います。
そしてその人生で一貫しているのは、音楽に対し、父性を求めている所でしょう。
フランス・ギャルの父親は作詞家なので、夫が音楽プロデューサーである事は自然の成り行きです。
セルジュ・ゲンズブールは父親の知人でした。
言わば、“歌こそが父性の象徴”であったのでしょう。
※この記事は、2023年5月3日に投稿当時の内容を一部修正致しました。
10月27

フランス・ギャル(France Gall)はフランスのポップスシンガーです。
もちろん、フランス・ギャルとは芸名で本名はイザベラさんと言います。
60年代はアイドル歌手としてスタートし、70年代以降は、ちょっと気取ったシンガーとして90年代まで活動していました。
『夢見るシャンソン人形』の出だしのワンコーラスのフレーズは、フランス・ギャルを知らなくても聴いた事はあると思います。
アイドル歌手の時代のフランス・ギャルは、もう強烈にかわいいんですよね。
You Tubeでも当時の映像が見れますが、ほとんど動くフランス人形です。
特に、衣装の色もまぶしいカラーの映像がおすすめです。
歌声も舌ったらずで、ボーカルに安定感がありませんが、それがかわいさを倍増させています。
まあ、アイドル歌手としての全盛期が16歳〜19歳だから多少舌ったらずでもおかしくはないのですが。
このフランス・ギャルの楽曲を作ったのは2人の男、セルジュ・ゲンズブールとミッシェル・ベルジェです。
セルジュ・ゲンズブールはアイドル時代の曲を作り、ミッシェル・ベルジェは彼女が28歳の時にシンガーとして復活させた際のプロデューサーです。
そしてベルジェは後に彼女の夫になりました。
セルジュ・ゲンズブールは前述の『夢見るシャンソン人形』の他にも『娘達にかまわないで』、『アニーとボンボン』と佳作を10代のフランス・ギャルに歌わせていました。
でも、その歌の内容は皮肉に満ちてて『夢見るシャンソン人形』は、“私は歌うお人形♪”という内容の歌です。
アイドル歌手に対する最高の皮肉ですね。
『アニーとボンボン』に関しては“アニーがボンボン(アメの棒)を舐めると、アニーの喉をアメが流れ込んで幸せな気分にさせる”と18歳のフランス・ギャル歌わせています。
この歌の真の意味は、男なら見当が付くと思います。
フランス・ギャル自身は、この歌の真の意味を当初は知りませんでしたが、途中で誰かが教えてくれて、その後は部屋からしばらく出て来なかったというエピソードが残っています。
セルジュ・ゲンズブール作品以外でも『ジャズる心』で、ポップでオシャレなスキャットを披露してくれていて、おすすめですよ。
※この記事は2022年3月27日に、投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
10月26
10月25
私が所有しているSHARPの液晶テレビ、AQUOSは2002年製で、液晶テレビが世間て普及する前の型です。(液晶テレビのくせに地デジ非対応という代物です)ここ2ヶ月、このAQUOSの画面の映りが最悪の状態でした。以前から多少画面が汚かったのですが、この2ヶ月は特に画面が乱れまくり、時には正視できなくなりました。新しい液晶テレビの購入を考えましたが、思い切って購入したコジマに修理について問い合わせてみました。引っ越してしまい、販売店は違いますが、こういう時に全国チェーンは強いです。するとコジマがSHARPに連絡してくれて、訪問修理の手配をしてくれました。やって来た訪問修理のお兄さんは、あっという間に基板を交換し、買った当初の映りに戻しました。感動です。もう、『液晶テレビってこんなに綺麗な画面だったんですね』という感じです。訪問修理のお兄さんに聞いた所、基板は急激な熱や寒さなど、温度の変化にに弱いそうです。そういえば、金沢で住んでいた家では、エアコンの真下にAQUOSを置いていた事を思い出しました。引っ越す1年前の2005年頃から、少し画面が汚くなってきましたが、『何となく以前より、くっきり映らなくなったなあ』という程度でした。→続く
続きを読む

続きを読む
10月24

夜寝る時に聴くBGMは結構頻繁に変わりますが、最近はこの『フォークルさよならコンサート』のCDです。
これは一言で言うと、豪華な音です。
アコースティックなフォーク・クルセダーズとオーケストラが共演していて、大変耳に心地良いです。

また、1968年のライブの録音であるにもかかわらず、録音の状態が良く、当時の東芝の技術者達が世界的な高水準であった事が伺えます。
最初の3曲は、オーケストラをバックにはしだのりひこ、北山修、加藤和彦の順番でメインボーカルを披露していきます。
それがまた、全員歌が上手いんですよね。
これをライブで歌っていたとしたら驚愕です。

興味深いのは、はしだのりひこさんが、自分のバンドであるシューベルツを組み当時未発表の『風』を演奏している事です。
現在CDで一般に聴けるシングルバージョンの『風』は、70年代歌謡曲のような大げさなアレンジですが、シューベルツだけのシンプルな演奏の方が曲の良さが引き出せています。
若き日の加藤和彦さんの声も、今と同じほのぼのした味がある声をしています。
ギターの音色も、今でも聴ける彼らしいタッチです。加藤和彦さんはジャックスの『時計を止めて』をカバーしていますが、その選曲のセンスの良さに脱帽です。
なぜなら、現在では名曲の誉れが高いこの曲も、ジャックス自身がリリースして1年未満のリアルタイムのカバーだからです。
フォーク・クルセダーズの3人が解散した1968年10月7日の『さよならコンサート』の時点では誰も分からなかった事ですが、加藤和彦さんはサディスティック・ミカ・バンドで世界的なミュージシャンになり、はしだのりひこさんは、ヒット曲を連発するヒットメーカーとなり、北山修さんは精神分析の大家として大学教授となります。
『タイムマシンにお願い』ではないですが、聴いているとついつい、彼らに未来の自分達の姿をタイムマシンで教えたくなってしまいます。
※この記事は投稿当時の原文を損なわない程度に、2023年5月2日に編集致しました。
10月23
10月22
最新記事
人気記事(画像付)
Archives