★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

2008年12月

ブッシュ政権を振り返って

8年間、2期に渡るブッシュ政権を振り返ると私は、『もうこりごりだ、勘弁してくれ』と思ってしまいます。
振り返ると、在任中に2度もの戦争をしていて、常に戦争をしている印象がありました。
同時多発テロに起因するアフガニスタン侵攻はまだしも、イラク戦争は、大量破壊兵器もみつからず、何のためにしたのか、はっきりしません。
同時多発テロも、イラン・イラク戦争における父ブッシュに対する仇打ちのように見えなくもありません。
すなわち、息子のブッシュが大統領になったから同時多発テロが発生したようにも思えなくもないのです。
もし、1期目の選挙で民主党のアル・ゴア候補が当選していたら、世の中が変わっていたのか考えてしまいます。
選挙戦で、かなり僅差でブッシュが大統領に当選しただけに、余計にそういった事を考えてしまいます。
また、その後アル・ゴア氏の名声が高まった事で複雑な心境になります。
だから、2期目の選挙で都市部のリベラル層のブッシュ離れもあったにも拘わらす、再選したことに驚きました。
そこから見える事実は、アメリカの都市部のリベラル層は、比較的経済的に安定していて高学歴な層と、地方の生活に困窮している層との対立軸です。
戦争は政治的モラルとして、やってはいけない事であると、誰もが思いますが、雇用や需要の拡大につながります。
アメリカの地方で、大学にも行かず、工場で働く労働者には政治的モラルやリベラルよりも、その日の需要や仕事が重要であったのでしょう。
それを考えると、アメリカで軍需産業に携わる層が、想像以上に多い事が窺われます。
だから、アメリカの凋落は、ブッシュ大統領就任前年の2000年のITバブルの崩壊からスタートし、戦争による軍需産業と、ザブプライムローンで、一時的にごまかしていたとも考えられます。

今こそ公共事業を!

今年は本当に波乱に飛んだ年でした。
通常は1年毎に世の中が激変することは、ありませんが今年は数ヶ月毎に物価が乱高下し、リーマンショックによる世界恐慌で、世界中が変わってしまいました。
今年は2001年の同時多発テロとと共に、世界史に新たに書き加えられる年になるでしょう。

こんな世界的な大恐慌の打開策としては、20世紀の大恐慌で、ルーズベルト大統領によって導入された、ニューディール政策が考えられます。
ニューディール政策とは、失業者対策として、大規模な公共事業を導入する政策を差します。
私は経済学については、素人なので、そんな策しか思い浮かべません。
むしろ、他に良い方法があるなら教えて欲しい程です。
問題は、大規模な公共事業を導入すると、赤字国債が膨れ上がり、将来増税を余儀なくなることです。
また、国家予算や税金の問題があるので、長期的に漫然と行える政策ではなく、2〜3年の短期的な政策としか実現出来ないことです。
でも、こんな大恐慌になったばかりなので、今が公共事業を導入するタイミングだと思います。
『新年度になってから』では遅すぎです。
国でも地方自治体でも良いので、公共事業をじゃんじゃか入れて欲しいです。
公共事業と言うと、建設業ばかり考えがちですが、福祉でも良いし、農業でも良いと思います。
この時期をチャンスに公営農場を作り、大規模な雇用が生まれると、食料自給率を高めることが出来るかも知れません。
まあ、これは私の『考え』なので、有効な手段なのか、何とも言えませんがね…。
今は『公共事業の削減を!』、なんて固いことは言いませんので、国や自治体は是非とも公共事業について、考えて頂きたいのです。

パチリと

今日はアトリエ彩園子(さいえんす)の日です。
9b42b1e8.jpg彩園子の駐車場にたたずむピーターラビット号です。
81f5ec6a.jpgブライスのドローイングと私です。
アトリエ彩園子にて。

おでん

この時期、コンビニには、必ずおでんが置いてあります。
しかし、あろうことか、泥酔した勢いで、コンビニのおでんを独りで買い占めてしまいったのです!
事件は近所のコンビニエンスストア、ファミリーマートで起こりました。
最初は、おでんを少々たっぷり、容器に詰め込むつもりもでしたが、詰め込んでいるうちにヒートアップしていきます。
黙々と容器におでんを詰め込む私の後ろで、『あ、おでんだ』と言って待っているカップルが居ましが、そんな状況を無視して、おでんを詰め込み続けていたら、いつの間にか、そのカップルは居なくなってしまいました。
そして、コンビニのおでん鍋の約半分を詰め込んでレジに持って行ったら、『もう少し、小分けに入れてもらいませんか?』と言われたので、『じゃあ、もっと入れます』とムキになって入れ続け、とうとうコンビニのおでん鍋の殆どを詰め込んでしまいました。
そして緊張の、お会計でしたが、約5千円かかりました。
これが安いのか、高いのか分かませんが…。
清算は、Edyで“シャリーン”と音を立てて、格好良く済ませましたが、何だかちっともスマートじゃありません。
図に乗って、コンビニの店員に、『こんなに、おでんを買うお客さんってどう思いますか?』と聞いたら、『作り甲斐があります』とのことでした。
そんな、おでんを独りで食べ切れる筈もなく、鍋に入れて冷蔵庫に保存して、今日も温めなおして食べています。
今日も食べても食べ切れません。
明日も、おでんを食べ続けることでしょう。
何だかビタミン不足で、新鮮な野菜とフルーツが恋しくなってきました。

もう、しばらくは恥ずかしくて、ここのファミリーマートには行けません。

やってみて感じたことは、糸こんにゃくが結構かさばる事です。
容器の多くのスペースは、糸こんにゃくで占められてしまいます。
それは、やった人でないと分かりません。

本当にバカなことをしました。
良い子はマネしないでね。

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CD72,971円也

いつもCDを注文しているHMVのホームページにログインしたところ、昨年6月から累計でCDを72,971円も買っていることが判明しました。
7万円って…CDを7万円分ですよ。
別にどこかへ旅行に行ったとか、アクセサリーやバックの類を買った訳ではないですよ。      
CDをそんなに買う奴、みたこともないです。
本当にこんなに大量にCDを買うのは、ラジオ局ぐらいしかないでしょう。
ミュージシャンだって、こんなに買わないと思います。
そういえば、テレビのバラエティー番組のジングルが、知っている曲だったり、洋服屋さんでショッピングしていても知っている曲が流れていたりする現象は、しょっちゅうです。
もしかしたら、私がコレクションしているCDやレコードだけで、ちょっとしたラジオ局が、できるかも知れませんね。

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ブライスちゃん★おやすみ

ブライスちゃん、寝ちゃったみたい。 
今日は、はしゃいでたから、疲れたんだろうね。     
おやすみなさい。
風邪ひかないようにね。

どんな夢を見ているのかな?


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出会い

友人の小岩君、矢郷さんと、ウィラードのライブに行って来ました。
矢郷さんは、音楽雑誌DOLLのライター、恒籐さんと、お知り合いでその際、恒籐さんを紹介して頂きました。
恒籐さんは、長身でエルビス・カムバックスペシャルの皮ジャンに、金髪という姿で独特のオーラを放っていました。
しかし、話してみると細やかな気配りが働く、ナイスな方でした。
私は恒籐さんのバンド、ヤングパリジャンのCDを聞いたので、『とてもグラムな感じのCDですね』と 言うと、『いえいえお恥ずかしい』と、とても謙虚でした。
基本的にロックやパンクが好きで、ウィラードのライブが始まると前の方に行って聴いていました。
普段は私のロックの知識は、役に立たないムダ知識でしたがは、この日は非常に役に立ちました。

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バタバタ

色々バタバタしてます。
またまた、東京に行ってます。
充実しているのか、ただの時間とお金の無駄遣いなのか?
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ポップアートの夜明け

ポップアートの概念的なものは、マルセル・デュシャンが、1913年制作の『自転車の車輪』で始めた『レディ・メイド』がルーツとなります。
これは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示し始めたのです。

最初にポップアートが誕生した国が、アメリカであると思われがちですが、実は最初にポップアートが誕生したのは、イギリスなのです。
エドゥアルド・パオロッツィは終戦後直後から雑誌の写真を用いたコラージュ作品を制作するようになりました。
コラージュはいわゆる『既製品』の転用で、一種の『レディメイド』です。
そのうちに、リチャード・ハミルトンが、やはりコラージュで、アメリカ風の大衆文化を皮肉ったような作品を制作するようになりました。
ここで重要なこととして、1956年にイギリス評論家ローレンス・アロウェイが、エドゥアルド・パオロッツィやリチャード・ハミルトンなどの作品群を『大衆的な芸術(ポピュラー・アート)』と命名しました。
そしてポピュラー・アートを略して『ポップアート』と呼ばれるようになったのです。

アメリカでは、1950年代末にロバート・ラウシェンバーグが、廃物や既製品のがらくたなどを絵に貼り付けたりし始め、ジャスパー・ジョーンズが、標的や数字や星条旗の図柄など、『大衆的な記号』を描き始めるようになっていったのです。

つまり、初期のポップアートはマルセル・デュシャンのレディメイドの手法が強く影響していたのです。
その根底には芸術でないものを芸術作品として提示する『反芸術』の思想がみられます。

その後、1960年に入ると、ロイ・リキテンスタインがコミックの拡大模写によって世に出るようになりました。
商業デザイナーだったアンディ・ウォーホルが1961年には身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描くようになりました。

つまり、有名なアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインの前にリチャード・ハミルトン、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズがポップアートの概念を確立していたことになるのです。
アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインは、言わばポップアートの第2世代と言えるのです。
そして、そのルーツはマルセル・デュシャンまで遡ることが出来るのです。

黒船

個人的には、日本の歴史の歯車が狂い始めたのは、江戸時代の鎖国政策からではないかと思っています。
1641年に長崎の出島以外の貿易の窓口を封鎖してから、1858年の日米修好通商条約が締結されるまで、実に217年間もの長きに渡るまて、日本は世界から取り残された形になります。
江戸時代は寿命が短かったでしょうから、気が遠くなる程の世代が、鎖国の時代を生きていたことになります。
1858年の時点で、日本は欧州の産業革命から遅れを取り、世界から100年は遅れたでしょう。
何しろ、江戸時代にアメリカから蒸気船がやってきたのですから、その文明の落差は明らかです。
開国してから、第二次世界大戦の敗戦までの約80年間は、鎖国の遅れを取り戻すために少々無茶をしてしまった結果、失敗してしまったように思います。
高度経済成長期は、開国以来の蓄積と、『アメリカに一番近いアジア』という地理的特性を生かして経済大国になり、それ以降はインフラ整備が終了したため、経済成長率が鈍化したのだと思います。
鎖国が日本人の欧米コンプレックスの原因になったという精神的マイナス面も大きいと思います。

でも、もし鎖国政策をしなかったら、日本がどうなっていたのか考えると、恐ろしくもなります。
歴史に、『もし…』はあり得ないのですが、全ての物事は長い歴史から成り立っているのです。

物事は、目先のことばかり考えずに、30年後50年後の長いスパンで物事を考えた方が良いでしょう。
今の、ねじれ国会の自民党と民主党の議論が、30年後50年後にまで通用する議論なのか、はなはだ疑問です。
果たして30年前の『三木降ろし』・『角福戦争』は、21世紀の現代において意義のある議論だったのでしょうか?

もし衆議院が解散し、投票の日が訪れたら、有権者達は、30年後50年後を見据えた投票をしなければなりません。
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