2009年10月
10月31
10月30
10月29
10月28
10月27
10月26
10月25
個展と芸術祭で評判を呼んで、近頃街では、私がアーティストとして知られるようになってしまいました。
絵画の制作が、今更後に引けない大事業になりつつある予感を感じます。
それはそれで、プレッシャーを感じることです。
実はもう次の作品の制作を始めています。
その状況はまた逐一報告しますのでお楽しみにして下さいね。
今日は私の作品に良く投げかけられる質問にお答えします。
ー 画材は何を使っているのですか?
『アクリル絵具が主ですが、油絵具や岩絵具も使います』
ー どうやって描いているのですか?
『通常の絵画の技法と同じです』
ー 画風がマンガっぽくないですか?
『実は、マンガやアニメの類いは、苦手なんですよ。最近の美少女風のマンガ見ると寒気が走ります』
ー この画風は絵画ではなく、イラストやグラフィックデザインではないですか?
『近頃のイラストやグラフィックデザインは、コンピューターグラフィックで描かれているものが多く、私のように油絵具や岩絵具まで駆使して古典的な制作している状況は、商業美術ではなくファインアートだと思います』
ー 何で風景画を描かないのですか?
『人物を描きたいからです』
ー 人物画を部屋で飾ったら落ち着かなくないですか?
『私は部屋の飾りを描いたのではなく、ギャラリーや美術館で、誰の作品よりも目立つ作品を描いているのです』
ー 何で女の子ばかり描くのですか?
『そんなに汚いおっさんの絵が観たいですか?』
ー 色が派手と言うか、クレイジーじゃないですか?
『地味な色じゃ、ギャラリーや美術館で目立てないでしょ』
ー 作品を観て、作者が女の子ではないかと誤解されていますが?
『本望です。それが私の作品のオチですから』
写真は“Dancing Girl”です。
“Dancing Girl”の構想スケッチです。
構想スケッチは、いつも鉛筆だけで、一つの作品として通用するほど完璧に仕上げています。
絵画の制作が、今更後に引けない大事業になりつつある予感を感じます。
それはそれで、プレッシャーを感じることです。
実はもう次の作品の制作を始めています。
その状況はまた逐一報告しますのでお楽しみにして下さいね。
今日は私の作品に良く投げかけられる質問にお答えします。
ー 画材は何を使っているのですか?
『アクリル絵具が主ですが、油絵具や岩絵具も使います』
ー どうやって描いているのですか?
『通常の絵画の技法と同じです』
ー 画風がマンガっぽくないですか?
『実は、マンガやアニメの類いは、苦手なんですよ。最近の美少女風のマンガ見ると寒気が走ります』
ー この画風は絵画ではなく、イラストやグラフィックデザインではないですか?
『近頃のイラストやグラフィックデザインは、コンピューターグラフィックで描かれているものが多く、私のように油絵具や岩絵具まで駆使して古典的な制作している状況は、商業美術ではなくファインアートだと思います』
ー 何で風景画を描かないのですか?
『人物を描きたいからです』
ー 人物画を部屋で飾ったら落ち着かなくないですか?
『私は部屋の飾りを描いたのではなく、ギャラリーや美術館で、誰の作品よりも目立つ作品を描いているのです』
ー 何で女の子ばかり描くのですか?
『そんなに汚いおっさんの絵が観たいですか?』
ー 色が派手と言うか、クレイジーじゃないですか?
『地味な色じゃ、ギャラリーや美術館で目立てないでしょ』
ー 作品を観て、作者が女の子ではないかと誤解されていますが?
『本望です。それが私の作品のオチですから』
写真は“Dancing Girl”です。
“Dancing Girl”の構想スケッチです。
構想スケッチは、いつも鉛筆だけで、一つの作品として通用するほど完璧に仕上げています。
10月23
10月18日に萬鉄五郎記念美術館で'60年代の前衛美術集団、『集団N39』のシンポジウムを聞きました。
『集団N39』とは、若き日の大宮政郎先生が在籍した、盛岡の前衛美術集団です。
『集団N39』の名称は、盛岡の北緯39度に因んで命名されたそうです。
活動期間は、1962年〜1969年と言うので、ちょうどビートルズの活動期間と重なりますね。
『集団N39』特徴は、盛岡という地方都市でありながらも、中央と何ら遜色のない、当時最先端の前衛的芸術作品を創り出していたことです。
それも、当時は中央のアーティストと行き来があったのではなく、純粋に盛岡のアーティストだけで自然発生したムーブメントだったのです。
その作風はロバート・ラウシェンバーグのようなネオ・ダダと重なるところがあります。
このシンポジウムでは、結成当初のメンバー、大宮政郎先生と柵山龍司氏を中心に進行して行きました。
シンポジウムの話を伺いますと、『集団N39』のメンバーは思春期に敗戦を経験し、'60年代の高度経済成長の真っ只中を疾走していたことが共通しています。
やはり思春期と敗戦というキーワードが重要であると、このシンポジウムを聞いて私は思いました。
ある日を境に、それまでの価値観が音を立てて崩れ去った経験が、これほどの恐いもの知らずのムーブメントを生んだのだと思います。
生まれる前から日本が経済大国であった世代とは、そこが根本的に違うと思います。
『集団N39』の活動のきっかけになった、『1人の詩人/8人の画家と/1人の芸術家/舞踏家による/盛岡4月8日の日曜日』のポスターです。
そして萬鉄五郎記念美術館の前にある、この企画展のパネルです。
『集団N39展』
会場:萬鉄五郎記念美術館
岩手県花巻市東和町土沢5-135
会期:12月23日まで(休館日:月曜日)
開場時間:午前8時30分〜午後5時まで(入館は4時30分まで)
入場料:館料:一般600円、高校学生400円、小中学生200円
写真は、大宮政郎先生の1962年の作品、『Cyborg-plan』です
『集団N39』とは、若き日の大宮政郎先生が在籍した、盛岡の前衛美術集団です。
『集団N39』の名称は、盛岡の北緯39度に因んで命名されたそうです。
活動期間は、1962年〜1969年と言うので、ちょうどビートルズの活動期間と重なりますね。
『集団N39』特徴は、盛岡という地方都市でありながらも、中央と何ら遜色のない、当時最先端の前衛的芸術作品を創り出していたことです。
それも、当時は中央のアーティストと行き来があったのではなく、純粋に盛岡のアーティストだけで自然発生したムーブメントだったのです。
その作風はロバート・ラウシェンバーグのようなネオ・ダダと重なるところがあります。
このシンポジウムでは、結成当初のメンバー、大宮政郎先生と柵山龍司氏を中心に進行して行きました。
シンポジウムの話を伺いますと、『集団N39』のメンバーは思春期に敗戦を経験し、'60年代の高度経済成長の真っ只中を疾走していたことが共通しています。
やはり思春期と敗戦というキーワードが重要であると、このシンポジウムを聞いて私は思いました。
ある日を境に、それまでの価値観が音を立てて崩れ去った経験が、これほどの恐いもの知らずのムーブメントを生んだのだと思います。
生まれる前から日本が経済大国であった世代とは、そこが根本的に違うと思います。
『集団N39』の活動のきっかけになった、『1人の詩人/8人の画家と/1人の芸術家/舞踏家による/盛岡4月8日の日曜日』のポスターです。
そして萬鉄五郎記念美術館の前にある、この企画展のパネルです。
『集団N39展』
会場:萬鉄五郎記念美術館
岩手県花巻市東和町土沢5-135
会期:12月23日まで(休館日:月曜日)
開場時間:午前8時30分〜午後5時まで(入館は4時30分まで)
入場料:館料:一般600円、高校学生400円、小中学生200円
写真は、大宮政郎先生の1962年の作品、『Cyborg-plan』です
10月22
現在、日本郵政の西川社長が辞任するなど、小泉構造改革の揺り戻しが起こっています。
もはや郵政選挙は、過去の遺物となってしまった感があります。
だから、そろそろ小泉構造改革や郵政選挙の歴史的検証が必要となってきていると思います。
国民的人気があった小泉純一郎元総理大臣。
しかし、国民的人気とうらはらに、その政策は決して国民的が望んでいたものではありませんでした。
現在でも、小泉純一郎元総理大臣の在任当時の答弁がテレビで放送されると、そのカリスマ性に感心させられます。
日本では、こういったタイプの政治家は珍しいと思います。
では、そのカリスマ性はどこから由来するのでしょうか?
まず、声や話し方が非常に明瞭で分かりやすい点です。
他の総理大臣は、発声がしっかりしてませんが、小泉純一郎さんは舞台俳優のような強い発声をしていると思います。
そしてもうひとつは、何でも簡潔明瞭に短く断言することです。
失われた10年を経験した日本人達は、将来に対する不安感を抱いていましたが、小泉純一郎さんみたいに断言、断定されると、『この方について行けば、大丈夫かもしれない』と感じられたのでしょう。
そして、3つ目はその時代性です。
小泉純一郎さんが在任当時は、近年でもまれなアメリカ一辺倒の時代です。
グローバル化、イコール、アメリカ化とされた時代です。
リーマン・ショックとBRICSの台頭で、現在では時代が変わってしまいましたが…。
やはり小泉さんには、当時のブッシュ前大統領の影がちらつきます。
思えば、'00年代前半は、“強いアメリカ”が強調された、どこかマッチョな時代だったと思います。
社会不安と、強いアメリカに傾倒した、何でも言い切る政治家…、これが小泉構造改革の時代だったのだと思います。
もはや郵政選挙は、過去の遺物となってしまった感があります。
だから、そろそろ小泉構造改革や郵政選挙の歴史的検証が必要となってきていると思います。
国民的人気があった小泉純一郎元総理大臣。
しかし、国民的人気とうらはらに、その政策は決して国民的が望んでいたものではありませんでした。
現在でも、小泉純一郎元総理大臣の在任当時の答弁がテレビで放送されると、そのカリスマ性に感心させられます。
日本では、こういったタイプの政治家は珍しいと思います。
では、そのカリスマ性はどこから由来するのでしょうか?
まず、声や話し方が非常に明瞭で分かりやすい点です。
他の総理大臣は、発声がしっかりしてませんが、小泉純一郎さんは舞台俳優のような強い発声をしていると思います。
そしてもうひとつは、何でも簡潔明瞭に短く断言することです。
失われた10年を経験した日本人達は、将来に対する不安感を抱いていましたが、小泉純一郎さんみたいに断言、断定されると、『この方について行けば、大丈夫かもしれない』と感じられたのでしょう。
そして、3つ目はその時代性です。
小泉純一郎さんが在任当時は、近年でもまれなアメリカ一辺倒の時代です。
グローバル化、イコール、アメリカ化とされた時代です。
リーマン・ショックとBRICSの台頭で、現在では時代が変わってしまいましたが…。
やはり小泉さんには、当時のブッシュ前大統領の影がちらつきます。
思えば、'00年代前半は、“強いアメリカ”が強調された、どこかマッチョな時代だったと思います。
社会不安と、強いアメリカに傾倒した、何でも言い切る政治家…、これが小泉構造改革の時代だったのだと思います。
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