France Gall

押しも押されぬアイドル歌手となったフランス・ギャルに変化が訪れたのは60年代末からです。
フランスでの、アイドル歌手のブームそのものが過ぎ去ってしまいます。
YouTubeの映像も1969年頃からアイドル時代の映像が途絶えていきます。
レコード会社から契約を切られたからです。

'70年代初めのは不遇の時代が続きました。不遇の間、恋愛も経験してすっかり大人になったフランス・ギャルに、またチャンスが訪れたのは1975年です。
この年に音楽プロデューサーのミッシェル・ベルジェのプロデュースの元で再デビューしたのです。
この再デビューでは、安定したボーカルをみせ、プロフェッショナルなシンガーと変貌しています。
もう舌ったらずなボーカルは殆んど聴かれません。



1976年にミッシェル・ベルジェと結婚し、夫の才能と彼女の歌唱力で不動の人気を得ました。夫、ミッシェル・ベルジェは70年代末にロック・ミュージカル『スターマニア』をプロデュースしますが、その初代ヒロイン役をフランス・ギャルが務めています。その後も『スターマニア』は現在まで再演され、夫の代表作となっています。その後、80年代を通してシンガーとして安定した人気を得ていました。

80年代末には40歳を過ぎていましたが、あのフランス人形のようなベビーフェイス、健在でした。
その後、15年以上にわたる安定期も夫の急死で危うくなっていきます。
殆んどの楽曲を夫に依存していたからです。

しかし、その後も気丈に歌手活動を続けますが、1997年に子供が難病で亡くなってからは公の前から去っています。
2018年1月7日、70歳で乳癌のために他界し、夫のベルジェの元へ旅たちました。

フランス・ギャルの人生を振り返ると、陰と陽の振り幅が大きいように思います。
そしてその人生で一貫しているのは、音楽に対し、父性を求めている所でしょう。
フランス・ギャルの父親は作詞家なので、夫が音楽プロデューサーである事は自然の成り行きです。
セルジュ・ゲンズブールは父親の知人でした。
言わば、“歌こそが父性の象徴”であったのでしょう。

※この記事は、2023年5月3日に投稿当時の内容を一部修正致しました。

France Gall
France Gall
Wea France
1993-06-20