私は三島由紀夫の小説が好きです。その独自の美的感覚に14歳の私は打ちのめされました。それはまるで、思春期の熱病のように私を襲い、そして去って行きました。『これこそが芸術なんだ』、と人生において初めて芸術について考えさせられました。三島由紀夫の小説を色彩に例えるなら、『朱色』でしょう。それだけ、『和』な耽美的美しさを、その文章から感じます。特に好きな小説は、『仮面の告白』と『憂国』ですね。『仮面の告白』は、『永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた』という出だしの一行からもうノックアウトされました。そして、その出だしから、同姓愛という異質の愛について綴られていきます。また、『憂国』の艶かしい性的描写と散り去る美しさは、禁断の美に感じました。しかし、この『憂国』は紛れもない傑作であると思ったものの、強いナショナリズムを感じ、三島由紀夫という熱病から醒めるきっかけになってしまいました。『憂国』は二・二六事件の事件当事者となった青年将校の一人を描いた小説ですが、最後に将校と妻が自決していく様子が破滅の美学のように描かれています。→続く
その美学は日本が、まさに悲惨な戦争へと突き進む儚さにありますが、冷静に考えて、ナショナリズムという思想的危険性を感じました。私は基本的に反戦論者なので、この美学はまずいと思ったのです。そこで、思い出されるのは、三島が昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、自らが結成した軍隊、『盾の会』と共に侵入し、バルコニーで『真の武士』について唱えた後に割腹自殺した事件です。その様は、まるで『憂国』の青年将校のようです。まさに自分の美学を突き詰め、その美学と共に自決し、散って行ったように思えるのです。まさにそれは、散り去った朱です。恐らく、ひ弱な文学青年である事が、三島自身がコンプレックスと思っていたのでしょう。それが、30歳を過ぎてから、戦前の軍事教育を受けた三島に独自の美学を創り上げ、昇華していったのだと思います。私は、三島由紀夫という熱病から醒めた後も、芸術家として行動する度に三島の影を感じるようになりました。そして、三島の美学から学んだ事は、『芸術はコピーではなく、頭で考えて創り上げる』事であるという事です。