憂国

私が人生において、芸術について最初に開眼したのは、意外にも文芸作品からです。
ファインアートではありませんでした。
中学生の時から数学が苦手で、なぜか国語だけは勉強しなくても試験で高得点を取る特異体質であった私。
最初に夢中になった文芸作品は、三島由紀夫の小説でした。

ある日、国語の教師が授業中に、三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地で起こしたショッキングな事件の話をしていました。
そこで、興味を持ったのが初まりです。
『金閣寺』から読み始め、『潮騒』を読み、『仮面の告白』で決定的に三島文学の虜になりました。

三島由文学の特徴は、まるで詩歌のような美しい文章にあると思います。
『どうやったら、このように美しい文章が書けるのだろうか?』と、本当にマジックをかけられたような心境でした。
色々読みましたが、1950年代の作品が秀逸だと思いました。
'60年代の作品になると、途端に『右翼の美学』のような文学になり、ちょっとついて行けなくなりました。

短編小説の『憂国』を読んで、三島由紀夫の美学が分かりました。
『憂国』は二・二六事件をモチーフにし、夫婦で自決する陸軍中尉について書いています。
文章は相変わらず耽美的ですが、内容は考えさせられるものでした。

今年の11月25日で、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決してから45年経ちました。
その報道で、私は複雑な心境になりました。
記事を読んで、『天才は何を考えているか分からない』と感じました。
確かに、私が三島由紀夫の小説を読みはじめた動機も、その事件を知ってからです。
でも、どこか腑に落ちません。

しかし『憂国』に、そのヒントが隠されていると思います。
自衛隊の隊員に二・二六事件のようなクーデターを起こすように演説し、まさに『憂国』の主人公のように自決してしまいます。
『憂国』は三島由紀夫のお気に入りの作品だったようで、自ら主演した映画まで制作しています。
まさに『憂国』の主人公のように、自身を己の美学で葬り去ろうとしたように私は考えます。

最初に三島由紀夫の小説を読んだのは14歳で、最後に読んだのが19歳でした。
その間に現代美術の面白さを発見し、ロックを聴くようになり、髪型はロングヘアーに変わりました。

19歳のある日、もう何度も繰り返し読んでいた『憂国』を、移動中の新幹線の中で、また読んでいました。
その時、『もう三島由紀夫の小説を読むのはやめよう』と思いました。
ふと何気に、そのナショナリストな美学に嫌気が差したのです。
ロングヘアーでロックを聴き、現代美術を探求する私は、三島由紀夫が自決する時に危惧していた『堕落した日本人』みたいになっていたかも知れません。

でも間違いなく、私が芸術について開眼したのは三島由紀夫の文学のお陰です。
後年、私の絵画が日本人的で象徴的かつ装飾的な作風になったのも、三島文学からの無意識の影響なのかも知れません。