The Who Sell Out

ロックという音楽が、いつから始まったのか、定義は諸説あります。
ルイ・ジョーダンなどジャンプ・ブルースは、ロックに近い演奏を1944年頃には始めていました。
エレクトリック・ギターを弾きながらブルースを歌うというスタイルも1948年にジョン・リー・フッカーが始めていました。

ビル・ヘイリーが1954年にヒットさせた"Rock Around The Clock"は、ルイ・ジョーダンやジョン・リー・フッカーが築いたスタイルを、白人でヒットさせた初めてのケースでした。

何しろ、当時は米国のレコード店やラジオ局に至るまで、白人の店と黒人と別れていたので、白人が初めてロックのようなスタイルの音楽を知ることになった画期的な出来事だったと思います。
その後は、エルビスのようなスターや、バディ・ホリーのような優れたミュージシャンが出現します。

英国でブルースやロックが浸透した理由は、同じ英語圏の先進国で、レコード店も特に人種に拘る必要がなく、誰でも手に取れたからでしょう。
ビートルズやローリング・ストーンズが米国でヒットしたのは、やはり人種別のレコード店やラジオ局の垣根を超えてしまい、ブラック・ミュージックを英国の白人が演奏したことで、逆輸入したからだと思います。

ロックの草創期から20年経ってから登場したバンドがThe Whoです。
かつてエルビスやバディ・ホリーを輩出した米国では、ベトナム戦争で若者が徴兵され、以前のようにロックどころではなくなり、ロックの本場は英国に移っていました。

そのような英国で、1967年はエポック・メイキングな年で、ロック・バンドはアート志向が強い音楽を演奏するか、爆音ロックで演奏するか、2極化している傾向です。

The Whoは、ライブでは爆音ロックを演奏していましたが、レコーディングでは慎重かつ繊細な音源をリリースしていました。
レコーディング作品ではアートなロック、ライブでは爆音で演奏していました。

そのようなロックの節目の時代に、The Whoは決断を下しなければいけません。
アートなロックを目指すにはビートルズやピンク・フロイドがライバルで、爆音ロックを目指すにはクリームとジミ・ヘンドリクスをライバルに回すことになります。

The Whoの決断は、"The Who Sell Out"というポップアートなアルバムをリリースすることで、アートなロックを目指す決断を下すことになります。
それは、ソングライター兼ギタリストのピート・タウンゼントの資質にあると思います。

ピートはラウドなギターを弾けるのですが、当時のエリック・クラプトンほどテクニカルには弾けません。
その一方で、ピート・タウンゼントは、既に数々のヒット曲をチャートに送り出し、クリームのジャック・ブルースやエリック・クラプトンよりもソングライティングに実績がありました。

アートなロックをレコーディングして行く方向性は、後年になって成功し、バンドの命運を成功に導きました。
ラウドなギターをメインにした音楽よりも、ピートのソングライティングに賭けた決断だったのでしょう。

ザ・フー・セル・アウト+10
ザ・フー
USMジャパン
2011-10-12