★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

ピンク・フロイド

ロック系の音楽雑誌が…

ロッキング・オン














今、ロック系の音楽雑誌がまずいことになっています。
何かと言いますと、私は毎月ロッキング・オンとクロスビートというロック系の音楽雑誌2誌を長年読んでいるのですが、その両誌の表紙が、近頃まずい事になっているのです。

ロッキング・オンの2013年の表紙は、4月号がデヴィッド・ボウイ、5月号がピンク・フロイド、6月号がキース・リチャーズです。
対するクロスビートは、4月号がジミ・ヘンドリックス、5月号がビートルズ、6月号がクラフトワーク、7月号がポール・マッカートニーです。
一体いつの時代の雑誌なのでしょうか?
そして、両誌共に、読者を何歳の人をターゲットにしているのでしょうか?
若くて、波に乗っているバンドやミュージシャンは、それなり居ると思うのですが…。
少なくとも、雑誌の表紙にするような人は、2000年以降にデビューしたバンドやミュージシャンにした方が良いと思うのですが…。
2000年以降に出て来た人だって、もう2013年なのですから、もう30歳は過ぎて来ていると思うのです。

かと思えば、中を読むと、最近出て来た新しいバンドについて紹介したりしているのです。
では、なぜその人達を表紙にしないのでしょうか?
ロックは反体制の音楽で、若者の音楽であることは、両誌の記者達も分かっているとは思うのですが…。
まぁ、私は音楽雑誌は広告媒体と考えていて、参考にしている程度なので、別に誰が表紙にしても良いのですけどね。
やはり、自分の耳が一番重要です。
上の写真はロッキング・オンの2013年6月号です。

rockin'on (ロッキング・オン) 2013年 06月号 [雑誌]
rockin'on (ロッキング・オン) 2013年 06月号 [雑誌] [雑誌]




ロックばかり聴いています

今年のGWは、マンションでロックのCDばかり聴いていました。
なぜか、ピンク・フロイド (Pink Floyd)にハマり、ピンク・フロイドのCDばかり聴いていました。

私が一日中ロックばかり聴いているのは、今に始まった訳ではありません。
でも、ロックを聴いている時間が増えたのは、近頃のテレビの番組がつまらくなったからでです。
近頃は、面白い番組は、苦情が少ない深夜帯に放送されるのが一般的ですが、夜更かしが苦手な私は、観ないことが多いです。
HDDに録画して観れば良いのですが、そこまでして観たいとは思いません。

そんな訳で、近頃は部屋でくつろぐ時はロックのCDを聴いていることが増えてきました。
下は、ピンク・フロイドの、“Wish You Were Here”の再生中の写真です。

Wish You Were Here

GWでもロック! 〜ピンク・フロイドに心酔した日〜

Piper at the Gates of Dawn












28日はGWというのに、あまり外出せず、マンションでひたすらロックのCDを聴いていました。
なぜかこの日は、無性にピンク・フロイド(Pink Floyd)が聴きたくてピンク・フロイドばかり聴いていました。

ピンク・フロイドというバンドを、知らない方に説明すると、'60年代の初期はサイケデリックなバンドとして活動して、'70年代には高度な芸術性を持つ“プログレッシブ・ロック”の代表的なバンドとなり、大ヒットするアルバムを連発し、徐々にモンスター級の大規模なライブを敢行するバンドとなるも、’80年代に入るとメンバー内の不和によって空中分解に至るバンドです。
簡単に説明すると、上記の一文になりますが、そのタイムスパンは、実に20年以上に渡ります。
その間にバンドの顔は、シド・バレットからロジャー・ウォターズ、デイヴィッド・ギルモアと変わって行きます。
サイケデリックなバンドの時代はシド・バレット、プログレッシブ・ロックの時代はロジャー・ウォターズとなり、バンドの不和の末の末期の頃はデイヴィッド・ギルモアがバンドの顔となっていきます。

この、シド・バレット、ロジャー・ウォターズ、デイヴィッド・ギルモアの3人は全員超人的な才能を持っていますが、私は専らシド・バレットの時代が好きです。
なぜなら、私は演奏の技巧よりソング・ライティングのセンスを重視する傾向で、この3人の中でシド・バレットが、個人的にソングライティングのセンスが良いと感じるからです。
ピンク・フロイドのアルバムで、シド・バレットの曲を堪能できるのは、彼らのファーストアルバム、“夜明けの口笛吹き(Piper at the Gates of Dawn)”の1枚のみですが、私はこのアルバムを、こよなく愛しています。
上の写真は、“夜明けの口笛吹き(Piper at the Gates of Dawn)”です。

ピンク・フロイドのファンは、なぜか妙なこだわりがある方々が多いのですが、そんなピンク・フロイドのファンに、『シド・バレットの曲が、一番好きだ』と言うと、非難の集中砲火に遭います。
その理由は、『一枚しかないから』ということと、シド・バレットが精神障害を病んでバンドを去ったという理由が一般的です。
『一枚しかない』という理由に反論すると、それを言ったらセックス・ピストルズだって一枚しか出してないけど、世界を変えた例だと思うのです。
シド・バレットが精神障害を患い、バンドを去ってしまうことに対しては、そんな事を口に出して言う方が倫理上に問題があると思うのです。

ピンク・フロイドのファースト、“夜明けの口笛吹き”を今聴いても、そのキラキラした曲と音色に目眩を感じてしまう程です。
そして忘れてはいけないのは、後年発表したシド・バレットが精神障害を患って変わり果てた姿でバンドを去ったことを悲しむ歌、“ Shine On You Crazy Diamond”が、ピンク・フロイドの重要な名曲になったことです。
その、ピンク・フロイドのメンバー達の旧友、シド・バレットを思いやる気持ちが分からなければ、ピンク・フロイドのファンとして失格だと思います。

この日は、ピンク・フロイドのアルバムを立て続きに聴きましたが、“ Shine On You Crazy Diamond”で、シド・バレットという若きの日の友を失ったピンク・フロイドの悲しみの歌声に感動しました。

夜明けの口笛吹き
夜明けの口笛吹き [CD]

血は争えないか?

Atom Heart Mother














28日には、体重の今年の最低記録を更新しました。
昨年11月から、今年2月まで、体重が1〜2Kgも増えたのは、何だったのでしょうか?
冬に備えて、身体が本能的に脂肪を蓄えようとしたのでしょうか?
自分なりの考察はあるのですが、謎です。
私は、遺伝的に何故か筋肉質なので、腹筋が浮き出て来ました。
文化系人間なので、全く鍛えてないので、何か申し訳ないない気がしてきます。

今年18歳になる私の甥が、遠方から訪ねて来ました。
以前はゼブラヘッドのようなメロコア好きでしたが、近頃はクラシックなロックを好むようになるなど、徐々に私の音楽の趣味が似て来たようです。
やはり、血は争えないのでしょうか?
『プログレが聴きたい』と言っていましたので、Pink Floyd (ピンク・フロイド) の
“Atom Heart Mother (原子心母)”を聴かせてみましたら、あまりに前衛的な作風に驚いていました。

原子心母
原子心母 [CD]

シド・バレット究明 その3

Syd Barrett

【シドバレットの精神症状】
1.LSD-25への精神依存とその乱用
2.幻聴、幻視
3.空笑
4.思考途絶
5.25歳以降の精神的荒廃状態(無為、感情鈍麻)
6.晩年の肥満と糖尿病
【LSD-25】
 リゼルギン酸ジエチルアミドの略称。ライ麦に寄生する麦角菌アルカロイドから合成される。脳幹の縫線核において、セロトニン5HT2受容体を遮断して、セロトニン5HT2による神経活動を抑制する事により、交換神経系を活性化させる。しかし、幻覚の発現については、この作用機序では説明は困難である。少量で作用し、身体依存は生じないが、精神依存は生じる。服用により、多彩な精神症状が発現するが、中でも幻視が著しく、周囲が明るくはなやかな色彩に変化し、ものが歪んで見えたりする。また、閉眼時に幻想的な情景幻視も出現する。
【考察】
 シド・バレットの精神症状で注目すべき所は、LSD-25の後遺症としては精神的荒廃状態が目立つ所である。そのため、統合失調症の可能性が高いと考えられる。しかし、行動の異常がLSD-25によるものか、統合失調症の症状によるものか鑑別は困難てある。LSD-25によって、幻覚妄想状態を呈する事は既知である。しかし、シド・バレットは度重なるLSD-25の使用によって統合失調症発病に対し、脆弱になり発病した事は考え得ることである。単純に化学物質中毒による精神障害と考察することも可能性は否定は出来ない事も確かである。また、晩年は比較的症状が安定し、外出や買い物している姿を発見されたのは、抗精神病薬による治療が行われたからであろう。肥満し、糖尿病の合併症で他界したのは、クロザピン、オランザピンなどの非定型抗精神病薬による投薬治療が行われたのは想像に難くない。

※上の写真はDVD、"ピンク・フロイド ロンドン 1966-1967" の映像を撮影して掲載致しました。
ピンク・フロイド ロンドン 1966-1967 [DVD]
ピンク・フロイド
トランスフォーマー
2006-11-25

シド・バレット究明 その2

Syd Barrett

ピンク・フロイド脱退後は友人宅に泊まり込むが、同居者が常に何らかのドラッグ服用していると証言している。
また空笑して、ベッドで寝てばかりで無為に過ごしていたという。
しかし、作曲の能力には影響を及ぼさず、1970年には2枚のソロアルバムをリリースした。
1970年、久々のライブ演奏をする事になったが、演奏の途中で動作を突然やめて退場してしまったという。

それ以後、公の場から姿を消し音楽業界から、実質上引退した。故郷ケンブリッジで母親と暮らしていたが、1975年に突然ピンク・フロイドのレコーディング・スタジオに姿を見せた。
しかし、精神的荒廃状態を呈していて、巨大に太っているスキンヘッドの男をバンドのメンバー誰1人として、シド・バレットである事は分からなかった。
無意味に跳び跳ねたりする奇行があり、目を背けたくなる状態であったという。

その後は、平穏な日々を過ごしていたが、時としてパパラッチに狙われた。晩年のパパラッチされた写真を見ると、見るも無残な変貌した姿をさらけ出している。
ピンク・フロイドの、他のメンバーも老けてルックスが変わったが、シド・バレットやはり尋常ではない風貌の変化である。
目だけが面影を残しているだけで、太って服もだらしなくなっていて、往年の輝きは消え失せている。

2006年7月7日に糖尿病の合併症で他界する。

※この記事は2016年3月21日に投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
※上の写真はDVD、"ピンク・フロイド アンド シド・バレット ストーリー"のジャケットより。

ピンク・フロイド アンド シド・バレット ストーリー [DVD]
ピンク・フロイド.シド・バレット
ナウオンメディア
2004-07-23

シドバレット究明 その1

Syd Barrett

シド・バレット(2006年-1946年:本名ロジャー・キース・バレット)は元来、陽気で情熱的性格を持ち合わせていた。
幼少から、芸術的才能を持ち合わせ、ロンドン芸術大学で絵画を学んでいた。
ドラッグへの憧れは若年の頃からあり、やがてLSD-25にのめり込むようになった。

ピンク・フロイドとして、バンド活動をしている頃には相当な量のLSD-25を服用していたと思われる。
そのような中で、彼が21歳の時の1967年5月にセカンドシングル“シー・エミリー・プレイ”をリリースしたが、その直前にから目に精気がなくなり、人が変わってしまったようであったとバンドのメンバーは証言している。
知人の顔も解らなくなるような状況になってしまう。
6月にはステージで両腕を下げたまま、演奏しなくなった。
そして、10月アメリカ巡業で、その症状は更に悪化した。
テレビの収録の際に口パクをしなければならないのに直立不動で何もしなかっり、ステージに上がる事を散々拒むなど状態となり、結局アメリカツアー断念してしまった。

11月には強引に第三弾シングル、“アップル・アンド・オレンジズ”は、バンドやシドのひどく混乱した状態を露見させただけだった。
そのような中で、精神科の治療を受けさせようとしたが、病識がなく治療を拒否していった。
そういった状況に誰もなすすべもなく、1968年1月にピンクフロイドを脱退した。

※この記事は、2016年3月21日に投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
※上の写真は書籍、"BRICKS IN THE WALL"に掲載されています。

カール ダラス
CBS・ソニー出版
1988-03

Piper at the Gates of Dawn

Piper at the Gates of Dawn

私は、シド・バレット(1946年-2006年)が書いた曲が大好きです。
好きなソング・ライターの5人挙げろと言われたら、シド・バレットの名を挙げるでしょう。

シド・バレットは、サイケデリック・バンドであるピンクフロイドの中心メンバーとして、ソングライターだけでなく、メインボーカル、ギターまで務めています。
言わばバンドのフロントマンです。

しかし、彼がピンク・フロイドのフロントマンとして活躍出来たのは、僅か2年程です。
"Piper at the Gates of Dawn"は、そんなシド・バレットが唯一ピンク・フロイドのメンバーとして残したアルバムです。
今回、"Piper at the Gates of Dawn"の3枚組のデラックスエディションが発売されたので、買いました。

私もシド・バレット音源をコレクションしているので、知っている曲が大半ですが、初めて聴くアウトテイクまで収録されいて、仰天です。
内容的には、最新リマスタリングのモノバージョンと、最新リマスタリングのステレオバージョンが各1枚ずつと、アルバム未収録のシングル集とアウトテイク集の3枚です。
その最新リマスタリング技術の余りにの出来栄えに、マニアの私の涙腺を緩ませてくれました。
そのサウンドは正に工芸品です。

Syd Barrett

シド・バレットはLSDの過度の使用のし過ぎで、行動の異常を示し、ステージでギターをぶら下げたまま、両腕もぶら下げたままの状態で、突っ立っていたと言います。
また、リハーサル途中で、突然ピタリと動作が停止し、やがてギターをケースに入れて、無言で帰って行ったりしたそうです。
メンバーとの意思疎通も困難になり、やむなくバンドから姿を消しました。
その後は2枚のソロアルバムを出しましたが、公衆の面前から姿を消しました。

※この記事は2016年2月7日に、投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
上のシド・バレットの写真はデラックスエディションのブックレットに収録されているものです。


Atom Heart Mother

私の所有する日本盤のPink Floyd(ピンク・フロイド)のアルバム“Atom Heart Mother”(原子心母)は、製造後32年から33年も経っている骨董品です。私が20年以上前に中古レコード屋さんで買った時点で、いかにも古めかしくて、1枚500円でゴミのように売られていました。このレコードは1970年にリリースされたアルバムです。しかし、その当時に製造されたものではありません。製造されたのは1974年頃(昭和49年)でしょう。なぜ製造した時期が推測できるのかというと、東芝EMIのマークがついているからです。東芝音工が東芝EMIに社名変更したのが、1973年の10月だからです。ライノーツは1970年のままで、今や大御所の音楽評論家、DJになった大森庸雄さんがライノーツを書き、やはり大御所の音楽評論家となった今野雄二さんが歌詞を対訳しています。ちなみにライノーツは古い本のように紙が黄ばんでいます。アルバムの内容の方はプログレッシブ・ロックの名盤で、タイトル曲の“Atom Heart Mother”は、レコードの片面全部を歌なしで、オーケストラとピンク・フロイドの共演になっています。→続くb8060238.jpg
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歌と演奏と言われても…
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