★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

フォーク・クルセダーズ

音の文化財

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最近、また加藤和彦さんのCD をよく聴くようになりました。
やはり興味深いのはフォーク・クルセダーズからサディスティック・ミカ・バンドの辺りの流れでしょうか?
加藤和彦さんは、か細くケロケロした歌声なので、ロック好きな私にしては、意外であると思う方も居ると思います。
私が加藤和彦さんの曲に惹かれるのは、そのセンスの良さですね。
まさに、本物を見極める感覚を備えていると思います。
曲にそれが滲み出ているのが分かるからです。
特にサディスティック・ミカ・バンドは、'70年代半ばの日本人アーティストがレコーディングしたものとは思えないほど優れていると思います。

でも、リアルタイムの当時の日本人には先端的過ぎて誰も理解出来なかったそうです。

あの有名な『黒船』をプロデュースしたレコーディング・プロデューサーはクリス・トーマスです。
クリス・トーマスは、当時ロンドンで最先端のグラム・ロックバンドであった、ロキシー・ミュージックをプロデュースしていました。
おそらく、当時の日本人でロキシー・ミュージックを聴いていた人は、かなり珍しかったと思いますので、それを考えると、『黒船』は超レアな音源だと思います。
クリス・トーマスは後にセックス・ピストルズの曲の数々をレコーディングして有名になる方なので、そんな方とお仕事をしていた加藤和彦さんは凄い人だったんだなぁと思います。

『黒船』は、もはや音の文化財だと思います。

帰って来たヨッパライ

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おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ
おらは死んじまっただ 天国に行っただ…

というフレーズが有名な『帰って来たヨッパライ』は、私が好きなソングライター、加藤和彦さんの衝撃のデビュー作です。
そのサウンドと言い、歌詞と言い、実にクレイジーな1曲です。
加藤和彦さんの歌とギターを、テープを早回しにして、ピッチを高くして録音しています。
そして幾重にもオーバーダビングを重ねて、あらゆる効果音を入れて録音されています。
言わば『テープの工芸品』です。
因みに録音に使用したテープレコーダーは北山修さんの妹さんが、英語の勉強のために使っていたものを使用したとのことです。
ピッチが高くなった歌声、自動車事故の音と悲鳴、神さまの声、ヒューンという落下する音、木魚の音、お経など聴いているだけで楽しくなってきます。
はっきり言って私、この曲大好きです。

『帰って来たヨッパライ』を録音した時は、フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんは20歳、北山修さんは21歳の京都の大学生でした。
加藤和彦さんは龍谷大学、北山修さんは京都府立医科大学の学生でした。
凄い大学生ですね。
今で言えば、GReeeeNのようなミュージシャンの走りだったのかも知れません。

もし望みがかなうならば、天国に居る加藤和彦さんが、このヨッパライの男のように、神様に『ほなら、出て行けぇ〜』と畑のど真ん中に落ちて生き返って欲しいです。

追悼、加藤和彦さん

加藤和彦さんが17日朝、軽井沢のホテルで首を吊って亡くなっている所を発見されたそうです。
ホテルの部屋から遺書も見つかったそうです。

私は、加藤和彦さんのファンだったので、凄くショックです。
私はあまり感情を表に出さないの方なのですが、そんな私でも悲しみがこみ上げてきます。
恐らく亡くなった奥さんで作詞家の安井かずみさんの元に旅立ったのでしょう。
今頃、天国で安井かずみさんと、優雅にフランス料理を召し上がっていることでしょう。

私がその訃報を聞いたのが、17日の午後4時頃です。
その訃報を聞いて、ファンの私が真っ先に手にしたCDは、フォーク・クルセダーズでもサディスティック・ミカバンドでもなく、ソロである“あの頃マリー・ローランサン”でした。
それは、“あの頃マリー・ローランサン”が加藤和彦さんの生き様を示したアルバムだったからです。

写真は、“あの頃マリー・ローランサン”のジャケットです。
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フォーク・クルセダーズの時代の加藤和彦さんです。
曲はイムジン河です。
向かって左でギターを弾いているのが加藤和彦さんです。
イントロでギターを弾く手元がクローズアップされていて、このバンドの音楽の要であったことが伺えます。



’80年代のサディスティック・ミカバンド再結成時の加藤和彦さんです。
曲はサイクリング・ブギ、ピクニック・ブギ 、ダンスはスンダです。
サイクリング・ブギでメインボーカルをとっているのが、加藤和彦さんです。
バンドのメンバー紹介をするなど、バンドの主導権を握っていることが分かります。


ハレンチ

ザ・フォーク・クルセダーズの『ハレンチ』を聴きました。
彼らのアルバムは『紀元二弐千年』が有名ですが、このアルバムは、『紀元二弐千年』を遡ること1年前の1967年(昭和42年) に自主制作盤として、わずか300枚しか制作されなかったという代物なのです。
当時20歳の大学生だった彼らは、解散の記念として制作したそうです。
当時のメンバーは、加藤和彦さん、北山修さん、平沼義男さんです。
このアルバム制作時にはまだ、はしだのりひこ氏は加入していませんでした。
制作費はバイト代や、父親が医師であった北山修さんの父親が練習の騒音にたまりかねて、支払った分などを、かき集めた捻出したそうです。
構成としては、前半にスタジオ録音(はたしてスタジオで録音したのかは不明ですが…。北山修さんの実家の風呂場で録音した説もあり)を収録し、後半にライブを収録しています。
曲はカバーが大部分ですが、『帰って来たヨッパライ』も既に完成型で収録されています。
加藤和彦さんが執拗にオーバーダビングを繰り返し、ボーカルの早回しで仕上げたとういう『工芸品』です。
因みに録音に使用したテープレコーダー(古いですね…)は北山修さんの妹が英語の勉強のために使っていたものを使用したとのことです。
『帰って来たヨッパライ』が評判となって、シングルとしてリリースされてオリコン1位となり、ザ・フォーク・クルセダーズは再結成します。
そしてその翌年に『紀元二弐千年』を制作します。
再びザ・フォーク・クルセダーズが解散した後、加藤和彦さんはサディスティック・ミカ・バンドを結成して、最近は木村カエラさんと共演して話題になっています。
北山修さんは九州大学の教授となって精神分析の大家になっています。
因みに加藤和彦さんと北山修さんのコンビで『あの素晴しい愛をもう一度』という有名な曲も、ザ・フォーク・クルセダーズの解散の後に作られています。


83de1806.jpgこのサイケなジャケットは松山猛氏の手によるもの。

木村カエラさんの偶然

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26日の笑っていいとも!のテレホンショッキングは、木村カエラさんでした。
その後、用事があって、車のエンジンをかけたら、カーステレオのスピーカーから木村カエラさんの歌声が流れてきました。
車のCDプレーヤーに、サディスティック・ミカ・バンドのCDを入れっぱなしだったのです。

サディスティック・ミカ・バンドのサウンドは、70年代風の上質なスーツのような風合いがあります。そこへ、木村カエラさんの歌声が加わるだけで、急に雰囲気が変わります。
更に、これまでのサディスティック・ミカ・バンドの女性ボーカリストの中では、一番歌が上手いです。

私は、木村カエラさんも加藤和彦さんもファンだったので、結構この組み合わせは、好きでした。
それにしても、加藤和彦さんは、日本人なら誰でも知っている名曲を、数多く作曲しているのに、それをあまり表に出さないで活動している所が、過去にとらわれてなくて清いです。

どちらかと楽曲より、フォーク・クルセダーズとか、サディスティック・ミカ・バンドのような活動形態に思い入れがあるようです。

フォークルさよならコンサートがBGM

フォークルさよならコンサート

夜寝る時に聴くBGMは結構頻繁に変わりますが、最近はこの『フォークルさよならコンサート』のCDです。
これは一言で言うと、豪華な音です。
アコースティックなフォーク・クルセダーズとオーケストラが共演していて、大変耳に心地良いです。
フォークルさよならコンサート


また、1968年のライブの録音であるにもかかわらず、録音の状態が良く、当時の東芝の技術者達が世界的な高水準であった事が伺えます。

最初の3曲は、オーケストラをバックにはしだのりひこ、北山修、加藤和彦の順番でメインボーカルを披露していきます。
それがまた、全員歌が上手いんですよね。
これをライブで歌っていたとしたら驚愕です。
フォークルさよならコンサート


興味深いのは、はしだのりひこさんが、自分のバンドであるシューベルツを組み当時未発表の『風』を演奏している事です。
現在CDで一般に聴けるシングルバージョンの『風』は、70年代歌謡曲のような大げさなアレンジですが、シューベルツだけのシンプルな演奏の方が曲の良さが引き出せています。

若き日の加藤和彦さんの声も、今と同じほのぼのした味がある声をしています。
ギターの音色も、今でも聴ける彼らしいタッチです。加藤和彦さんはジャックスの『時計を止めて』をカバーしていますが、その選曲のセンスの良さに脱帽です。
なぜなら、現在では名曲の誉れが高いこの曲も、ジャックス自身がリリースして1年未満のリアルタイムのカバーだからです。

フォーク・クルセダーズの3人が解散した1968年10月7日の『さよならコンサート』の時点では誰も分からなかった事ですが、加藤和彦さんはサディスティック・ミカ・バンドで世界的なミュージシャンになり、はしだのりひこさんは、ヒット曲を連発するヒットメーカーとなり、北山修さんは精神分析の大家として大学教授となります。

『タイムマシンにお願い』ではないですが、聴いているとついつい、彼らに未来の自分達の姿をタイムマシンで教えたくなってしまいます。

※この記事は投稿当時の原文を損なわない程度に、2023年5月2日に編集致しました。

フォークルさよならコンサート(紙ジャケット仕様)
ザ・フォーク・クルセダーズ
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
2008-10-22

ぼくのそばにおいでよ

唐突な題名で申し訳ございません。これは加藤和彦さんのファースト・ソロ・アルバム、『ぼくのそばにおいでよ』“COME TO BEDSIDE”(1969年)のタイトルです。昨夜は、このCDを子守唄にして、眠たもので…。実はこのアルバムは、レコーディング時は『児雷也』と名付けていたのですが、発売時にレコード会社よって勝手に『ぼくのそばにおいでよ』“COME TO BEDSIDE”と変更された上、二枚組アルバムの収録曲を減らされ、一枚に変更されていたという経緯があります。当然、加藤和彦さんは抗議しましたが結局、二枚組を一枚にする収録曲自の選曲だけは許可されたとの事です。しかし、タイトルやアートワークの希望は受け入れてもらえませんでした。だから当然、加藤和彦さん自身もこのアルバムは好きではないと表明しております。確かに、レコード会社の命令で、無理やり上半身裸の写真ばかり撮られて、“COME TO BEDSIDE”なんて題名つけられたら気分は良くないと思います。実はこのアルバムは、幻の名盤と言われるもので、リリース後1年で廃盤にされ、アナログで一度だけ再発した後、8年前にCDとして再発された逸品なのです。→続く13401e00.jpg
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とりあえず

とりあえず、少しだけ風邪は良くなっています。少なくとも鼻水は出なくなりました。
df0b486c.jpg昨日は加藤和彦作品集を聴いて寝てました。
『僕のおもちゃ箱』は何だか初期のデビッド・ボウイみたいです。 『日本の幸福』はメロディーも歌詞もパーフェクトなのに、肝心の日本人の記憶から忘れ去られている曲なのが残念です。『明日晴れるか』はバックで演奏するジャックスの演奏がかっこいいガレージ曲です。サトウ・ハチローさんが作詞した『悲しくてやりきれない』はフォーク・クルセダーズの絶頂期に加藤和彦さんをホテルに缶詰めにして書かせた名曲です。『家をつくるなら』は、某大手住宅会社が現在でもTVCMに使われている曲です。“家をつくるなら〜♪”という曲は誰でも知っているはずです。『ネズミ・チュウ・チュウ、ネコ・ニャン・ニャン』は個人的に私のフェイバレット・ソングです。女性とのデュエットで不思議な曲調もサウンドも歌詞も不思議な一曲です。『青年は荒野をめざす』はフォーク・クルセダーズの最後のシングルになった曲で、加藤和彦さんのつま弾くイントロがかっこいい。『あの素晴らしい愛をもう一度』は日本人なら誰でも知っている曲です。この曲の作詞とデュエットを担当した北山 修さんが将来大学教授になることなど誰が想像しただろうか?
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『シャキーンとした猫』
2019年

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