★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

地震

東日本大震災から13年が経ちました

東日本大震災

東日本大震災から、13年が経ちました。
上の写真は2011年3月11日の震災直後の私の家の様子です。
写真は露出を調整して、明るくしておりますが、当時は夕刻の停電で、もっと暗かった事を覚えています。


毎年、3月11日のBlogで、この写真を掲載していますが、自分自身の防災への戒めのために今後も掲載するつもりです。

今年は特に、令和6年能登半島地震が元旦に起こり、胸を痛めております。
日本中、どこに住んでいても、地震の脅威から逃れられない事を痛感致しました。

偶然だと思うのですが、私に縁が深い、岩手県と石川県が、相次いで地震と津波の被害に遭うとは、まるで悪夢を見ているかのようです。

令和6年能登半島地震では、志賀原発の被害がなかった事が、不幸中の幸いだったと思います。

東日本大震災では、大分、復興が進みました。
令和6年能登半島地震における復興を祈るばかりです。

23:37に震度5強!

地震

報道の通り、16日の23:37に地震がありました。
早寝早起きの私は、熟睡していました。

まずは23:35頃に1度目の弱い揺れで目が覚めて、テレビを観ました。
テレビでは、たった今の地震のニュースを報道していました。

そうしていましたら、2分後の23:37にスマートフォンから、『ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!』と緊急地震速報が鳴って、強めの揺れが始まりました。
マンション全体が、『ガガッ!ガッ!』と縦に揺れて、遊園地のアトラクションに乗っている感じがしました。

しかしながら、ベッドで横になっていたためか揺れに対しては、体が揺さぶられる感じは少なかったように感じました。
幸い、停電もなかったので、そのままテレビの地震の報道を観ることが出来ました。
テレビの報道を観ているうちに、寝落ちして熟睡しました。

朝、起きましたら棚からDVD数枚が床に落ちていました。
それが、上の写真です。
被害は、それだけです。

東日本大震災では、地震で揺れている最中に停電し、間もなく携帯電話の電波も不通になってしまいました。
何よりも、情報が得られなかったのが不安でした。

しかし、今回は停電もせず携帯電話の電波も通じていましたので、情報を得ることが出来ました。
やはり、何か災害が起こっても情報があるのとないのでは、気持ちが違うと感じた次第です。

緊急地震速報が…

緊急地震速報

27日は、なぜか20時ちょうどに地震が来ました。
なぜ、午後8時ジャストに狙ったかのように地震が発生したのでしょうか?

久しぶりに、携帯電話の緊急地震速報の警報音を聞きました。
でも、携帯電話の緊急地震速報は、『速報』ではなく、揺れ始めて2秒後くらいでした。
ちょうど、地震が発生した時は、テレビを観ていましたが、テレビの緊急地震速報は携帯電話に遅れること、3秒後だったような感じがします。

何かもう、東日本大震災の本震を経験すると、どんな地震も恐くないように感じてしまいます。
でも油断は大敵なので、地震に対しては油断せず生活をしていこうと思っています。

不気味な夜

14日の夜は、地震があちこちで起こって、何か不気味な感じがしました。
去年の震災以降、小康状態だったように感じていたのですが…。
逆に去年の東日本大震災を体験しているので余計に不気味に感じます。
まぁ、震災以降、2年は余震に注意していなければならないと言われていたので、覚悟はしていましたが…。

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余震で、またまた停電

7日午後11時32分に宮城県沖で発生した地震で、また停電です。
翌日、8日の午後1時20分に電気が復旧しました。
今回は夜中だったので、いきなり真っ暗になってしまいました。
地震の時はワインを飲みながら、テレビでニュースを観ている時でした。
携帯電話の緊急地震速報が流れた直後、ガッガッガッと揺れて
きました。
ちょうど、飛行機が着地する際の揺れに似ています。
揺れている間、テレビは数秒映っていました。
アナウンサーが、『地震のようです』と言ったようですが、地震の轟音でかき消されました。
揺れている最中、地デジのテレビに、画面に横向きの二本の線が現れ、停電と共にテレビは消えました。
強い地震が起きている最中は、地デジに横向きの二本のノイズが現れる事実は、初めて知りました。

地震の影響で、いつもは机に対してまっすぐにセッティングしてあるiMacのディスプレイも、手前の方向に微妙にズレています。

東北地方太平洋沖地震・地震発生から1週間経って

18日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生から1週間経ちました。
17日は、矢郷良明さんにお願いして、FMいみずの
“矢郷良明 RADIOアグレッシヴ”の番組で私のBlogを読んでいただきました。
射水市の方にも、私の思いは伝わったことでしょう。

災害と計画停電で、日本は手痛い打撃を受けています。
これは、ただ事ではないと実感しています。
ひょっとしたら、阪神淡路大震災、中越地震以上の災害だと思われます。
何しろ、首都圏で計画停電が実施されることは、これまでありませんでしたからね。

でも、いつまでも悲しんだり、嘆いたりしていても、仕方ないと思います。
もう、前進あるのみだと考えています。

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東北地方太平洋沖地震・スーパーの商品が…

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から6日経った17日、盛岡は氷点下4℃まで気温が下がりました。
前日から雪も降っています。
いつも、この時期には、こんな気温は下がらないのですけどね。
灯油が不足しているので、灯油で暖房している方は、シャレになりません。
避難所に避難している方々を思うと、気の毒です。

街中を歩くと、ガソリン不足のためか、郵便物を配達するバイクが、自転車に変わっていました。
そうです!
あの年賀状の配達に使われるあの赤い自転車にです。
ついに、ここまで来たかと思います。

ガソリン不足は、シャレにならないほど、深刻です。
全国から送って戴いた、支援物資は、盛岡近郊の滝沢村の産業文化センターという、広いアリーナに一旦集荷されますが、それ以後に各避難所に運ぶ燃料がない状況になっています。
岩手県は、四国に迫るほどの面積がある県なので、集荷された後が問題になるのです。
物流が燃料不足で途絶えているのです。

私も、17日はスーパーの列に並びました。
入り口の前で入場制限がかかっているのです。
スーパーに並ぶ列は、横3列並んでいて、コンサートの時のように少しずつ入場して行きます。
私が行った時は、午前中だったので列は長くなかったですが、それでも20分ほど並びました。
商品は一品につき、一つという制限付きです。
野菜は思っていたより揃っていましたが、魚はいかにも冷凍物で、肉も色合いが微妙でした。
こんな時こそ、開き直ってビールでもくらおうかと思ったら、酒類の棚は、スカスカで、ハードリカーしか置いてませんでした。

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東北地方太平洋沖地震・ガソリン不足の結果

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から5日経った16日の盛岡は、市内の道路は車がガラガラで、コンビニは閉店しているし、スーパーは長蛇の列という状態です。
やっと開いてるコンビニを見つけて入ったら、売っているのは雑誌とタバコくらいしかなかったです。

とにかくガソリン不足が深刻で、職場に出勤出来ない方が続出しています。
ガソリンスタンドは、どこも売り切れです。
スーパーの方に聞いてみると、食材があっても、それを運送するトラックの燃料がないため、商品が入荷しないとのことです。
道路を走る車の台数は少なく、歩行者や自転車の姿が増えました。

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上の写真は盛岡市内の駐車場です。
この駐車場は、普段は満車になることが多い駐車場なのですが、ご覧の通りスカスカです。
白いフェンスの向こうは、道路なのですが、白い軽ワゴン車1台しか走っていません。
いつも、この道路は渋滞が頻発する所なのですよ。

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上の写真は、自衛隊車両がズラリと並ぶ岩手県庁の様子です。

東北地方太平洋沖地震・ガソリン不足で…

東北地方太平洋沖地震発生後より4日経った15日、盛岡の空に、あれだけ飛び交っていたヘリコプターの音が少なくなりました。
恐らく、ヘリコプターは、負傷者が多かった沿岸部から盛岡のヘリポートに運び、それから各病院に救急車で搬送されたのでしょう。
とても、悲しいことですが、地震発生後より72時間以上過ぎた現在、地震と津波に巻き込まれて、瓦礫の中で、かろうじて生存者していた方も、生存している可能性は低くなっています。

比較的地震の被害が少なかった盛岡でもガソリンの入手が困難になり、13日の段階で3時間待って、5リッターのみの給油で、14日の段階でガソリンスタンドは、どこも終日売り切れで、緊急車両のみの給油となっています。
米や野菜があっても運送する車が走れなくなっています。
ゴミ収集車も燃料不足によってゴミ収集が中止になっています。
ガソリン不足が市民を直撃しています。

また、携帯電話は通じますが、『大変込み合っています』とアナウンスされる時があります。
もっぱら、メールによるやり取りが、連絡手段となっています。

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上の写真は、壁に寄せていたアップライトのピアノが、地震の揺れで壁から離れてしまった光景。
ピアノの下に付随している車輪はロックされていた状態でした。

東北地方太平洋沖地震・今、自分に何が出来るか?

東北地方太平洋沖地震の3日後の14日、盛岡上空はヘリコプターが飛び交っています。
度重なる余震のため、時折グラッ・グラッと来て、まるで飛行機に乗っているように感じます。
同日、盛岡のデパートのデパ地下では、地震の影響と思われるガス爆発があり、死傷者が出ました。
東京電力の福島第1原子力発電所などが受けた深刻な被害で、ついに計画停電の事態になりました。
東北地方太平洋沖地震の被害を要約すると、

1.マグニチュード9.0という未曾有の巨大地震による被害
2.広範囲に及ぶ津波の被害
3.原子力発電所の被害

ということになります。 
まさに日本の終わりであるかのようです。
直接的な地震の被害だけでなく、計画停電による間接的な経済損失は膨大で、GDPに影響を及ぶのは確実です。
でも、そんな時こそプラス思考が大切であると思います。
『今、自分が必要とされている。今、自分に何が出来るか?何をしようか?』と考えることが大切です。

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写真は東北地方太平洋沖地震が発生して約2時間後の3月11日、午後4時50分頃の盛岡大通商店街の1コマです。
降りしきる雪の中で居酒屋さんが炊き出しをスタートさせています。
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