★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

小泉純一郎

自民党をぶっ壊したのは小泉純一郎 民主党をぶっ壊したのは野田佳彦

衆院は16日午後の本会議で解散しました。

『自民党をぶっ壊す』と断言したのはは小泉純一郎元総理です。
本当にぶっ壊して野党になってしまいました。
民主党は『ぶっ壊す』とは明言しませんでしたが、事実上民主党を、ぶっ壊したのは
野田佳彦総理大臣でしょう。
『4年間は消費税を上げない』という2009年のマニフェストを無視して消費税の引き上げをして、結果的に離党者が続出しています。
いや、もう離党者が続出している時点で民主党はもう『ぶっ壊れている』のかも知れません。
民主党は、次の衆院選では野党になるでしょう。

でも、衆院選があったとしても、ここに来て投票したい党が全くありません。
自民党は、汚職と官僚の癒着にまみれた印象ですし、民主党は素人政治家集団のようなイメージですし、第3極の政党も、どこか、いかがわしい印象があります。

でも投票に行かなければなりません。
弱ったぞ!!

民主党

小泉構造改革の時代

現在、日本郵政の西川社長が辞任するなど、小泉構造改革の揺り戻しが起こっています。
もはや郵政選挙は、過去の遺物となってしまった感があります。
だから、そろそろ小泉構造改革や郵政選挙の歴史的検証が必要となってきていると思います。
国民的人気があった小泉純一郎元総理大臣。
しかし、国民的人気とうらはらに、その政策は決して国民的が望んでいたものではありませんでした。
現在でも、小泉純一郎元総理大臣の在任当時の答弁がテレビで放送されると、そのカリスマ性に感心させられます。
日本では、こういったタイプの政治家は珍しいと思います。
では、そのカリスマ性はどこから由来するのでしょうか?
まず、声や話し方が非常に明瞭で分かりやすい点です。
他の総理大臣は、発声がしっかりしてませんが、小泉純一郎さんは舞台俳優のような強い発声をしていると思います。
そしてもうひとつは、何でも簡潔明瞭に短く断言することです。
失われた10年を経験した日本人達は、将来に対する不安感を抱いていましたが、小泉純一郎さんみたいに断言、断定されると、『この方について行けば、大丈夫かもしれない』と感じられたのでしょう。
そして、3つ目はその時代性です。
小泉純一郎さんが在任当時は、近年でもまれなアメリカ一辺倒の時代です。
グローバル化、イコール、アメリカ化とされた時代です。
リーマン・ショックとBRICSの台頭で、現在では時代が変わってしまいましたが…。
やはり小泉さんには、当時のブッシュ前大統領の影がちらつきます。
思えば、'00年代前半は、“強いアメリカ”が強調された、どこかマッチョな時代だったと思います。
社会不安と、強いアメリカに傾倒した、何でも言い切る政治家…、これが小泉構造改革の時代だったのだと思います。

人生いろいろ…

昨日、衆院選が告示になりました。
比例第24位となってしまい、出馬を断念した猪口邦子氏に対して小泉純一郎さんのアドバイスは、『人生いろいろ総裁もいろいろ』だったそうです。     
『人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです』という小泉さんのフレーズは、2004年の6月2日の衆院決算行政監視委員会において、1969年当時、小泉さんの勤務実態がないのに、社員として厚生年金に加入していたことを追求されて発した答弁です。       
当時はアナウンサーが生真面目に、『小泉首相は、人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろですと答弁しました』とニュース原稿を読んでいた状況が、コミカルでした。
今回の衆院選について小泉純一郎さん風に言えば、『人生いろいろ、選挙もいろいろ』ということになりましょうか?
もし、自民党が衆院選で大敗北し、野党に下ったとしても、『人生いろいろ、選挙もいろいろ』になります。
もし万が一、次男の小泉進次郎氏が落選した場合も、『人生いろいろ、落選もいろいろ』という風になるのでしょうか?
私の個展の題名が、『頭髪検査は嫌よ展』と妙であるのも、『人生いろいろ、個展もいろいろ』になりますね。
私がいつも長髪なのも、『人生いろいろ、ヘアスタイルもいろいろ』となっちゃいますね。

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誰も語らない二大政党制の時代

近頃では、日本もやっと、自民党と民主党の二大政党の時代がやって来たと言われます。
しかし、日本は昭和初期は二大政党制であったことを誰も指摘しません。
誰もその事実を語りたがらないのは『曰わく付きだから』であります。
(その曰わくは後述します)
昭和初期の二大政党は、立憲政友会(政友会)と立憲民政党(民政党)です。

政友会は、初代の内閣総理大臣である伊藤博文が結党した由緒ある政党で、平民宰相と謳われた原敬も政友会でした。
また政友会の最後の総裁代行は鳩山由紀夫 ・邦夫の兄弟の祖父である鳩山一郎でした。

一方、民政党は、右往曲折を経て、分裂した政友会と憲政会が合併して、1927年に結党されました。
ライオン宰相と言われた濱口雄幸、若槻禮次郎など、総理大臣を輩出しています。
また、小泉純一郎の祖父である小泉又次郎は民政党の幹事長でした。
また、娘婿の小泉純也(純一郎の父)も、もちろん民政党でした。
民政党は1940年まで続き、二大政党の時代は、13年続きました。

注目すべきは、日本で初めて、25歳以上の男子による普通選挙が行われたのが、1928年であることです。
その間、政友会と民政党がほぼ交互に総理大臣を輩出していくのです。

では、なぜこの二大政党制が曰く付きになったのでしょうか?
まず、この昭和初期の二大政党時代、民政党の濱口雄幸首相と政友会の犬養 毅首相が凶弾に倒れました。
これらの事件が、日本の民主主義に冷や水を浴びせたのは、疑いの余地はありません。
日本は1937年に日中戦争に突入し、一気に軍事体制になり、1940年に民政党が解党しました。
そして、政友会と合流し、一国一党体制の大政翼賛会となりました。
旧民政党の議員達は、軍部の後押しをして、大政翼賛会の党派の主流となりましたが、終戦後に旧民政党の議員達はGHQによって公職追放されました。
民政党であった小泉又次郎と小泉純也もまた、公職追放となりました。
やはりこういった事実が曰くとなり、あまり『二大政党制の時代』として語られなくなったのでしょう。

一方、戦後、鳩山一郎ら旧政友会系で翼賛政治に批判的であった議員達によって、日本自由党を結党され自由民主党に発展します。
そして、鳩山一郎は自由民主党の初代総裁に就任するのです。
小泉純也ら、公職復帰した一部の旧民政党議員は、鳩山一郎の自民党の結党に合流します。

今後、日本が二大政党制の時代になった

ロック脳

最近、ロック脳という言葉が使われ始めています。これは、若い頃からロックに夢中だった方が、政治の中枢に立ったり、経済界に影響を及ぼすようになった現象を言います。一番有名なロック脳の政治家はイギリス前首相であるトニー・ブレアです。トニー・ブレアは20代の時は長髪をなびかせてロックバンドで活動していた事は有名です。(プログレバンドらしいです)バンド解散後に政治家に転身し、政府の財政を立て直し現在の空前のイギリス好景気を作り出しました。日本で有名なロック脳は小泉純一郎前内閣総理大臣です。小泉さんは若い頃からエルビスに夢中で、後年のメンフィスでのはしゃぎ振りは有名です。良くも悪くも日本の政治に変革をもたらしました。60年代のロック・ミュージシャンは、ロックで世界を変える事が出来るという、幻想を抱いてウッドストックで散りました。結局、人々のファッションだけを変えただけだったのです。しかし、本当に世の中を変えるまでには、ロック世代が指導者になり得る世代になるまで、待たなければなりませんでした。ロック脳の特徴は、一概には言えませんが、着眼点の斬新さがあるように思います。因みにアメリカのブッシュ大統領は、カントリー&ウエスタンが好きという事で、妙に納得します。abb63afe.jpg
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