長らく行方が分からなくなっていた、小磯良平の『日本髪の娘』が韓国国立中央博物館で見つかったとのことです。
『日本髪の娘』は、李王家のコレクションだったというので、戦後の韓国では不遇な扱いであったのだと思われます。
李王家が韓国に戻れるようになっても、日本文化のため、韓国国立中央博物館でも所蔵を明らかにすることが出来なかったのでしょう。
関心したのは、そんな不遇なエピソードを持っていても、朝鮮戦争が勃発しても作品がきちんと保存されていたことです。
それは、ひとえに作品の芸術性の高さと、それを理解した韓国国立中央博物館の学芸員の努力のたまものでしょう。
私はインターネットでこの作品を観たのですが、小磯良平の才能に圧倒されました。
現代芸術好きな私が、小磯良平なんて言葉が出るとは意外でしょうが…。
それは、1935年(昭和10年)の時代の空気感が、真空パックのように保存されていると感じたからです。
もはや、昭和初期の時代の空気感を語れる人は、高齢になって少なくなっています。
しかし、絵画はその空気感を保存しておくことが出来るのです。
私は常々、芸術は時代を反映しなければならないと思っていますが、まさに『日本髪の娘』その例だと思います。
私が、今さら小磯良平を絶賛しなくても、小磯良平は一流の画家として評価は定着しています。
まぁ、私のように今風の人間でも、小磯良平の芸術性は理解できるんですよと言うことで…。
『日本髪の娘』は、李王家のコレクションだったというので、戦後の韓国では不遇な扱いであったのだと思われます。
李王家が韓国に戻れるようになっても、日本文化のため、韓国国立中央博物館でも所蔵を明らかにすることが出来なかったのでしょう。
関心したのは、そんな不遇なエピソードを持っていても、朝鮮戦争が勃発しても作品がきちんと保存されていたことです。
それは、ひとえに作品の芸術性の高さと、それを理解した韓国国立中央博物館の学芸員の努力のたまものでしょう。
私はインターネットでこの作品を観たのですが、小磯良平の才能に圧倒されました。
現代芸術好きな私が、小磯良平なんて言葉が出るとは意外でしょうが…。
それは、1935年(昭和10年)の時代の空気感が、真空パックのように保存されていると感じたからです。
もはや、昭和初期の時代の空気感を語れる人は、高齢になって少なくなっています。
しかし、絵画はその空気感を保存しておくことが出来るのです。
私は常々、芸術は時代を反映しなければならないと思っていますが、まさに『日本髪の娘』その例だと思います。
私が、今さら小磯良平を絶賛しなくても、小磯良平は一流の画家として評価は定着しています。
まぁ、私のように今風の人間でも、小磯良平の芸術性は理解できるんですよと言うことで…。
