★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

文化

文化人になりたいなぁ

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私はチャラチャラした遊び人に、よく間違われます。
昼間の街を歩くと、若者にガンつけられますし、夜中の街を歩くと酔っぱらいのおっちゃんにからまれます。
スーツを着て夜の街を歩いていたら、ホストに間違われた時もあります。
こんな真面目な人なのに、何でそんな風に見えるのかなぁと思ってしまいます。

一方で、真逆の現象が、私の身の周りで起こっています。

人と雑談していると、政治とか社会情勢とか、難しそうなことについて、『どう思いますか?』とコメントを求められます。
そうなると、『こんな茶色い長髪風情の男に聞いどうすんの?』と思ってしまいます。
でも聞かれたら、一応自分なりの考えを述べていますけどね。

そんなはざまで私は、『文化人になりたいなぁ』と思っています。
ロックやファッション、現代美術なら、いくらでも語れますよ。

芸術はトレーニング

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昨日は体調が悪かったですが、今日は復活してきました。
それでも、極力無駄に体力を消耗しないように気を付けています。

私はスポーツが全然ダメなので、10代の時から文化系人間として生きてきました。
でも近頃、芸術はある種、スポーツのトレーニングと似たでものであると感じています。
トレーニングは、何処までやって、正解とは言えないし、いつまで続けて正解が得られないものだからです。
なぜ作品を制作するのかと言うとチャレンジ精神です。
それは、登山のように長く険しい道です。
まさに頂上が見えない登山のようなものです。

文化遺産と日本人

最近、中国清王朝のネズミとウサギのブロンズ像のオークションが話題になりました。
今度はインドのマハトマ・ガンジーの遺品のオークションが、文化遺産がで他国に流出してしまうという問題が話題になりました。
こういった問題は、日本人には、少し理解し難い文化的ナショナリズムです。

日本の文化遺産は、浮世絵や日本画、陶芸に至るまで、海外に流出し続けました。
それでも、日本人は誰も何も言いませんでした。
それは、日本人が『過去を否定する民族』なので、文化遺産が海外に流出しても、誰も文句を言わない民族なのです。
日本人は明治以降は、江戸時代の文化を否定し、第二次世界大戦後に戦前の文化を否定しました。
だから、過去の文化遺産が海外に流出しても、誰も何とも思わないのです。
せいぜい著作権問題に訴え出る程度です。
『作っては壊し、作っては壊し』の連続が日本人の特性です。

そんなことはないと思っている人でも、毎日和室だけで生活し、毎日和食だけしか食べれられない状況になったら、みな根を上げるでしょう。
『正座は嫌だ』『毎日、魚と味噌汁ばかりでウンザリ』と文句を言いそうです。

最近の日本のアニメーションの世界的流行でも、海外で話題になったので、日本人が『これが、良いのかな?』と、恐る恐る売り出しに出た状況です。
でも、手塚治虫がリアルタイムでアニメーションを作っていた時は、日本人はその文化的重要性に気付いていなかったのです。
せっかく録画した磁気テープも、『これは子供の観るもの』と、消したりしていたのが現実でしょう。

何が文化遺産になるのか、リアルタイムでは分からないことが多いので、一人一人が、審美眼を養って見分けなければならないと思います。


人間の存在の意義

地球上に存在する生物の中で、人間の存在の意義は文化的活動をするか否かでしょう。
なぜなら、この地球上で文化的活動をするのは人間だけだからです。
人間は、ただ生きていくだけでは満足できない生き物なのです。
食べて寝るだけの、ただ生きていくだけではつまらないので、人々はビジネスを始めたり、スポーツをしたり、芸術的な表現を試みたりします。       
そういった文化的活動は原始時代から現在まで、脈々と引き継がれています。
だから、人間らしく生きたいのであれば、身心共に健康な人は、ただ食べて寝るだけの怠惰な生活から脱却しないといけません。

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伝統と革新

Paul Weller

イタリア、スペイン、イギリスの三国は、深く長い伝統に基づいた文化を築き上げています。
イタリアは、ファッションやスポーツカーなどに、顕著にそれが表れています。

スペインは、ピカソやダリ、ミロなどの偉大な芸術家を排出し、スペイン語は本国だけでなく、中南米など広い地域で公用語になっています。

イギリスは、音楽やファッションの流行の発信基地で、何よりも英語が世界の共通語にした功績は偉大です。
今や、サッチャー時代の不況から立ち直り、1人当たりのGDPは、日本を追い越してしまいました。
この三国の共通点は、過去に世界No.1になった経験がある国です。

言わば、先進国としての伝統がある国です。
日本が世界経済の表舞台に立ったのは、60年代からなので、先進国としての伝統は、僅か50年しかありません。

しかし、この三国は100年単位に渡る長き伝統があり、特にイタリアなどは、千年単位の伝統があります。
でも日本も、半世紀も経てば、そろそろ、そういった伝統が築き上げ上げられても良いかなと思います。

伝統がなければ、革新は絶対に生まれません。よく、『イギリスのような伝統的な国から、ビートルズやセックス・ピストルズのような人達が突然出て来るのは驚きだ』と言われますが、私は驚きません。
しっかりとした伝統に裏付けされた革新だからです。

ポール・ウェラーという人は、伝統と革新との間を激しく揺り動く人です。
成熟した国イギリスで、スーツ姿で革新的なロックを演奏している姿は、新しいのか、伝統的なのか解らなくなります。
ロックそのものも、伝統芸能になりかかっていた時代に、次々と新しいアプローチを試みる一方、その伝統に敬意を表したりします。

その姿は、イギリスにおいて、100年前の建築物に、リフォームを施して、最先端の内装にしてしまう センスに似ています。
目先の部分は最先端でも、その周囲は、伝統に裏付けられているので、文化として圧倒的な存在感を放ちます。

日本も、そんな成熟した国になる時が、やって来たのかもしれません。
高度経済成長期の世代は、もう孫まで授かり、その記憶は、日本人のDNAに、しっかりと刻まれています。
もう誰の眼から見ても、日本は新興国には見えません。
60年代から70年代初頭にかけて建築された、古いビル群を眺めていると、ついついそんな事を、考えてしまうのです。

※この記事は、2019年7月4日に、投稿当時の文章を損なわない程度に修正致しました。
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2019年

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