木村カエラ
3月18
1月28
昨夜寝ていたら、夢にオードリーの春日さんが出てきました。
ちゃんと、ピンクのベストを着て、“トゥース”をやっていました。
一体何で夢に出てきたのでしょうか?
さて、Zipper 3月号は木村カエラさんです。
モデル出身の、木村カエラさんは、ファッション雑誌の表紙に登場するのは、珍しいことではないのですが、今回は何か違います。
まず、写真に動きがあります。
そしてまた、色のトーンも独特です。
何でなのだろうと思ったら、この写真はアラーキーこと荒木経惟さんが撮影したのです。
これは、Zipper 200号を記念した企画なのですが、木村カエラ×アラーキーとは、なんて豪華な組み合わせなのでしょう。
私も長いことZipperを読んでいますが、最近のZipperは、クオリティー高いと思います。
ちゃんと、ピンクのベストを着て、“トゥース”をやっていました。
一体何で夢に出てきたのでしょうか?
さて、Zipper 3月号は木村カエラさんです。
モデル出身の、木村カエラさんは、ファッション雑誌の表紙に登場するのは、珍しいことではないのですが、今回は何か違います。
まず、写真に動きがあります。
そしてまた、色のトーンも独特です。
何でなのだろうと思ったら、この写真はアラーキーこと荒木経惟さんが撮影したのです。
これは、Zipper 200号を記念した企画なのですが、木村カエラ×アラーキーとは、なんて豪華な組み合わせなのでしょう。
私も長いことZipperを読んでいますが、最近のZipperは、クオリティー高いと思います。
7月20
今日は土砂降りの雨だったので、家でファッション雑誌を読んで過ごしました。
Zipper 8月号の表紙は木村カエラさんです。
最近のZipper の表紙デザインは秀逸です。
絵描きとしても非常に参考になります。
一昨年のサマーソニックで、木村カエラさんのライブを聴いた時は、意外にもシャイな印象を受けました。
これが、その時のライブレポです。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/50283341.html
私の文章もライブを聴いたばかりで興奮気味です。
やはり木村カエラさんのオーラは、モデルさんだと思いました。
冷静に考えると、モデルさんは、みんなシャイなんだと思います。
シャイだから、体型や髪型に気を配るのだと思います。
Zipper 8月号の表紙は木村カエラさんです。
最近のZipper の表紙デザインは秀逸です。
絵描きとしても非常に参考になります。
一昨年のサマーソニックで、木村カエラさんのライブを聴いた時は、意外にもシャイな印象を受けました。
これが、その時のライブレポです。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/50283341.html
私の文章もライブを聴いたばかりで興奮気味です。
やはり木村カエラさんのオーラは、モデルさんだと思いました。
冷静に考えると、モデルさんは、みんなシャイなんだと思います。
シャイだから、体型や髪型に気を配るのだと思います。
10月5
ザ・フォーク・クルセダーズの『ハレンチ』を聴きました。
彼らのアルバムは『紀元二弐千年』が有名ですが、このアルバムは、『紀元二弐千年』を遡ること1年前の1967年(昭和42年) に自主制作盤として、わずか300枚しか制作されなかったという代物なのです。
当時20歳の大学生だった彼らは、解散の記念として制作したそうです。
当時のメンバーは、加藤和彦さん、北山修さん、平沼義男さんです。
このアルバム制作時にはまだ、はしだのりひこ氏は加入していませんでした。
制作費はバイト代や、父親が医師であった北山修さんの父親が練習の騒音にたまりかねて、支払った分などを、かき集めた捻出したそうです。
構成としては、前半にスタジオ録音(はたしてスタジオで録音したのかは不明ですが…。北山修さんの実家の風呂場で録音した説もあり)を収録し、後半にライブを収録しています。
曲はカバーが大部分ですが、『帰って来たヨッパライ』も既に完成型で収録されています。
加藤和彦さんが執拗にオーバーダビングを繰り返し、ボーカルの早回しで仕上げたとういう『工芸品』です。
因みに録音に使用したテープレコーダー(古いですね…)は北山修さんの妹が英語の勉強のために使っていたものを使用したとのことです。
『帰って来たヨッパライ』が評判となって、シングルとしてリリースされてオリコン1位となり、ザ・フォーク・クルセダーズは再結成します。
そしてその翌年に『紀元二弐千年』を制作します。
再びザ・フォーク・クルセダーズが解散した後、加藤和彦さんはサディスティック・ミカ・バンドを結成して、最近は木村カエラさんと共演して話題になっています。
北山修さんは九州大学の教授となって精神分析の大家になっています。
因みに加藤和彦さんと北山修さんのコンビで『あの素晴しい愛をもう一度』という有名な曲も、ザ・フォーク・クルセダーズの解散の後に作られています。
このサイケなジャケットは松山猛氏の手によるもの。
彼らのアルバムは『紀元二弐千年』が有名ですが、このアルバムは、『紀元二弐千年』を遡ること1年前の1967年(昭和42年) に自主制作盤として、わずか300枚しか制作されなかったという代物なのです。
当時20歳の大学生だった彼らは、解散の記念として制作したそうです。
当時のメンバーは、加藤和彦さん、北山修さん、平沼義男さんです。
このアルバム制作時にはまだ、はしだのりひこ氏は加入していませんでした。
制作費はバイト代や、父親が医師であった北山修さんの父親が練習の騒音にたまりかねて、支払った分などを、かき集めた捻出したそうです。
構成としては、前半にスタジオ録音(はたしてスタジオで録音したのかは不明ですが…。北山修さんの実家の風呂場で録音した説もあり)を収録し、後半にライブを収録しています。
曲はカバーが大部分ですが、『帰って来たヨッパライ』も既に完成型で収録されています。
加藤和彦さんが執拗にオーバーダビングを繰り返し、ボーカルの早回しで仕上げたとういう『工芸品』です。
因みに録音に使用したテープレコーダー(古いですね…)は北山修さんの妹が英語の勉強のために使っていたものを使用したとのことです。
『帰って来たヨッパライ』が評判となって、シングルとしてリリースされてオリコン1位となり、ザ・フォーク・クルセダーズは再結成します。
そしてその翌年に『紀元二弐千年』を制作します。
再びザ・フォーク・クルセダーズが解散した後、加藤和彦さんはサディスティック・ミカ・バンドを結成して、最近は木村カエラさんと共演して話題になっています。
北山修さんは九州大学の教授となって精神分析の大家になっています。
因みに加藤和彦さんと北山修さんのコンビで『あの素晴しい愛をもう一度』という有名な曲も、ザ・フォーク・クルセダーズの解散の後に作られています。
このサイケなジャケットは松山猛氏の手によるもの。
9月8
体調は、ほとんど元に戻って元気になりました。
元々じっとしているのが苦手な性分なので、元気になったので、どこか歩き回ろうかと思いましたが、家に溜まっていたファッション雑誌や音楽雑誌を読破しました。
つんざくような音の、ギンギンなロックをBGMにしましてね。
ひょっとしたら、私はそこらへんの女の子よりもファッションのことに詳しいかも知れませんね。
PSの10月号で、木村カエラさんが表紙になっていましたが、いつの間にか写真のように重めバングなヘアスタイルに変わっていました。
もう本当に、重めなヘアスタイルが、流行のピークに達していることを痛感しました。
私は元々、重めなヘアスタイルが好きなのですが、この流行の凄まじさに、あっけに取られています。
私は変な強迫観念があって、ファッションやヘアスタイル、聴いている音楽など、常に流行の最先端でなければならないと落ち着かないという変な習性があります。
『いつになっても大人になれない』とは、私のこういった習性のことを指します。
かく言う私自身も、子供の頃は、こういったピーターパンな大人になるとは夢にも思っていませんでした。
元々じっとしているのが苦手な性分なので、元気になったので、どこか歩き回ろうかと思いましたが、家に溜まっていたファッション雑誌や音楽雑誌を読破しました。
つんざくような音の、ギンギンなロックをBGMにしましてね。
ひょっとしたら、私はそこらへんの女の子よりもファッションのことに詳しいかも知れませんね。
PSの10月号で、木村カエラさんが表紙になっていましたが、いつの間にか写真のように重めバングなヘアスタイルに変わっていました。
もう本当に、重めなヘアスタイルが、流行のピークに達していることを痛感しました。
私は元々、重めなヘアスタイルが好きなのですが、この流行の凄まじさに、あっけに取られています。
私は変な強迫観念があって、ファッションやヘアスタイル、聴いている音楽など、常に流行の最先端でなければならないと落ち着かないという変な習性があります。
『いつになっても大人になれない』とは、私のこういった習性のことを指します。
かく言う私自身も、子供の頃は、こういったピーターパンな大人になるとは夢にも思っていませんでした。
3月27
26日の笑っていいとも!のテレホンショッキングは、木村カエラさんでした。
その後、用事があって、車のエンジンをかけたら、カーステレオのスピーカーから木村カエラさんの歌声が流れてきました。
車のCDプレーヤーに、サディスティック・ミカ・バンドのCDを入れっぱなしだったのです。
サディスティック・ミカ・バンドのサウンドは、70年代風の上質なスーツのような風合いがあります。そこへ、木村カエラさんの歌声が加わるだけで、急に雰囲気が変わります。
更に、これまでのサディスティック・ミカ・バンドの女性ボーカリストの中では、一番歌が上手いです。
私は、木村カエラさんも加藤和彦さんもファンだったので、結構この組み合わせは、好きでした。
それにしても、加藤和彦さんは、日本人なら誰でも知っている名曲を、数多く作曲しているのに、それをあまり表に出さないで活動している所が、過去にとらわれてなくて清いです。
どちらかと楽曲より、フォーク・クルセダーズとか、サディスティック・ミカ・バンドのような活動形態に思い入れがあるようです。
10月21
8月13
8月11日、サマーソニックの初日に木村カエラさんのライブを聴きました。会場は千葉マリンスタジアムで、推定数万人ものお客さんが押しかけています。
木村カエラさんが登場すると、サマーソニックのステージが、急にファッション雑誌のスナップ写真みたいにな空気に変わりました。
基本的に木村カエラさんはモデルなんだぁと納得。
以前よりも痩せたイメージでバッサリ切ったショートカット、紺と白のツートーンのスニーカーがとても良く似合っていました。
1曲終わると、『カエラーっ!』という大歓声に『あんまり言われると照れる』とコメントし、意外に照れ屋さんなのだと感じました。
また、照れ屋だからか分かりませんが、ボーカルにカラオケのようなエフェクターを多用していました。
また、あまりお喋りが得意でないようで、曲間は水を飲む仕草をしながら『みんな暑いから、あれ…水分補給してね』と喋る程度でした。
リルハラルハでは携帯電話のCMに登場した、あの赤いかわいいエレクトリックギターを弾きながら歌いました。
カエラさんのギターは、かなりマイペースでガシャガシャ鳴らしていましたが、バンドのメンバーが必死でカエラさんのギターに合わせていきます。
ともかく、サマーソニックの会場を、ファッション雑誌の1ページのように変えてしまう木村カエラさんの、モデルとしてのオーラは凄いです。
歌そのものは、とても真摯な感じがして、時に、神経質な感じもしました。
加藤和彦さんが、サディスティック・ミカ・バンドの録音の時、メンバーで、カエラさんが一番しっかりしていたと語っていた事も頷けます。
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