★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

現代アート

現代アート、超入門!

帰りの新幹線の中で読んだ本が、この藤田令伊 著の『現代アート、超入門』(集英社新書)です。
実は、この本は3月17日に発売されたばかりで、22日に私が購入し、その日のうちに完読したのですから実にタイムリーな話です。
恐らくこの本が、著者のBlog以外で取り上げられることも、初めてでしょう。
この本は、『現代アート、超入門』というタイトル通り、現代アートが全く分からない人に向けて書いてあります。
本の構成として、各章毎に、まず最初にカラーの口絵写真を提示し、『あなたはこの作品は〜ですか?』という問いからスタートします。
そして、解説で現代アートのカラクリを解き明かし、『最後に現代アートの水脈をたどる』と題して、紹介した作品の同時代の潮流を語るという構成になっています。
『現代アート、超入門』なので、現代アートマニアの私が読むと、現代アートの基本を、おさらいしているかのような、気恥ずかしさを感じました。
しかし、読み進めると、危険で今にも事故が起こりそうなそうな作品や、尿で作った作品など、現代アートマニアの私でも唸るような、物凄い作品が登場し、色々考えさせられました。
そして、この本の最大の特徴は、作品を鑑賞者側の視点で書かれているということです。
だからこそ、『とりわけ近年の日本の若手作家の作品に顕著な傾向だが〜』という記述には、作品を創る側として、ドキッとさせられました。

藤田令伊 氏のアートポータルサイト、『フェルメール美術館』です。
興味ある方は覗いてみて下さい。
著者の藤田令伊 氏のBlog『フジタのブログ』もありますよ。
http://www4.ocn.ne.jp/~artart/

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最新の現代美術 1

今日は、アメリカの美術雑誌、“Art in Amerca”、2008年11月号からです。
表紙はLiza Louの作品です。
かっこいいです。
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現代美術の主流は、インスタレーションです。
雑誌に収録されている作品は、殆どインスタレーションです。
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これは、Damien Hirst (デミアン・ハースト)の牛のホルマリン漬けのオブジェです。
左下にはその姿も写っています。
デミアン・ハーストは、一般の方には馴染みがないかも知れませんが、実は現代美術界のスーパースターなのです。
このオブジェも18億円で売れたそうです。
ちなみにデミアン・ハーストはイギリス人です。
個人的には、近頃はアメリカのアーティストより、イギリスのアーティストの方が面白いと思っています。
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表紙になったLiza Louの個展の様子です。
色彩感覚が素晴らしいです。
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ポップアートの夜明け

ポップアートの概念的なものは、マルセル・デュシャンが、1913年制作の『自転車の車輪』で始めた『レディ・メイド』がルーツとなります。
これは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示し始めたのです。

最初にポップアートが誕生した国が、アメリカであると思われがちですが、実は最初にポップアートが誕生したのは、イギリスなのです。
エドゥアルド・パオロッツィは終戦後直後から雑誌の写真を用いたコラージュ作品を制作するようになりました。
コラージュはいわゆる『既製品』の転用で、一種の『レディメイド』です。
そのうちに、リチャード・ハミルトンが、やはりコラージュで、アメリカ風の大衆文化を皮肉ったような作品を制作するようになりました。
ここで重要なこととして、1956年にイギリス評論家ローレンス・アロウェイが、エドゥアルド・パオロッツィやリチャード・ハミルトンなどの作品群を『大衆的な芸術(ポピュラー・アート)』と命名しました。
そしてポピュラー・アートを略して『ポップアート』と呼ばれるようになったのです。

アメリカでは、1950年代末にロバート・ラウシェンバーグが、廃物や既製品のがらくたなどを絵に貼り付けたりし始め、ジャスパー・ジョーンズが、標的や数字や星条旗の図柄など、『大衆的な記号』を描き始めるようになっていったのです。

つまり、初期のポップアートはマルセル・デュシャンのレディメイドの手法が強く影響していたのです。
その根底には芸術でないものを芸術作品として提示する『反芸術』の思想がみられます。

その後、1960年に入ると、ロイ・リキテンスタインがコミックの拡大模写によって世に出るようになりました。
商業デザイナーだったアンディ・ウォーホルが1961年には身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描くようになりました。

つまり、有名なアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインの前にリチャード・ハミルトン、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズがポップアートの概念を確立していたことになるのです。
アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインは、言わばポップアートの第2世代と言えるのです。
そして、そのルーツはマルセル・デュシャンまで遡ることが出来るのです。

現代アートビジネス

アスキー新書の、小山登美夫氏の『現代アートビジネス』を読みました。
小山登美夫氏は、ギャラリストという職業の方です。
ギャラリストとは、馴染みのない職業かも知れませんが、平たく言うと画商です。
しかし、普通の画商と違って、プロデューサー的な役割が大きく、アーティストと苦楽を共にして個展を企画、運営して作品の売買を成立させる職業です。
小山登美夫氏は主に現代アートを中心に活動しています。
氏の最大の功績は、村上隆さんと奈良美智の才能にいち早く気付き、世に送り出したことです。
この著書によると村上隆さんと奈良美智さんは、全く正反対の方だそうです。
村上隆さんは、会社を立ち上げて活発なマネージメントするタイプの作家ですが、奈良美智さんは、露出を抑えて、ストイックに自分の世界を追求するタイプだそうです。
本文中、私が一番興味深かった箇所は、村上隆さんが冗談混じりに、奈良美智さんに、『奈良さんも広告とかどんどんやって、1億とか2億でも稼げばいいのに!僕がマネージメントしてあげるよ』と言ったのに対して、描きたい物しか描かない奈良美智さんは、興味を示さなかったことです。
ちょっとミーハーな箇所に興味を持ちましたが、本当にこの二人が対照的である事を伺わせるエピソードです。
海外では、日本の現代アートを『クールジャパン』と呼ばれて、大流行しているのに、日本では美術館の資金不足などで認知されていない事も書かれています。 私の作品も、イマドキな作風(意図的ではなく、気付いたらそうなっていた)なので、アメリカ人が観たらどう思うか気になります。

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なぜアート野郎になったのか

あるアートとは縁もゆかりもない方々と、飲み屋で話していたら、『芸術活動をするということは、一般的ではない。君はなぜそんな一般的でないことをするのか?』と聞かれました。
これは、答えに窮しました。
それは、哲学的な問題だからです。
作品を制作するには、知力、体力、精神力を要するので、決して楽なことではないのです。
どちらかと言うと、制作するよりも、飲み屋で飲んだり、レストランで食事する方が好きです。
なぜ、そんな大変なことを続けるのでしょうか?
結局、色々お話するうちに、私自身の内面に、そういった要素があるからであるという結論に達しました。
確かに私は通常の人が、『分からない』と匙を投げるような、現代美術の作品を喜んで見ています。
私は16歳の時から、小難しい美術書からロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、エデュアルド・パオロッティなどの現代美術の作品を探し出して、心躍らされていました。
それは、誰かに教えられたのではなく、単純に自分で『良い』と思っただけです。
私が、それらの図録を見せて『これ良いよ』と勧めても、同級生達は、ぽかんとしているだけでした。
今考えると、その時点で一般的でなかったのかも知れません。
でも、そんな一般的でない、それらの作品を、『良い』と感じることは、どこでも教育を受けてません。
現代社会の日々の生活を繰り返すうちに、そうなっただけなのです。
それは、紛れもなく内面的な感覚なのです。
そんな感覚が、教育も受けてないのに、どうやって身に付いたのか私自身も聞きたい位ですね。

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写真は、富山大学芸術文化学部教授・美術評論家、伊藤順二氏の若き日の著書です。偶然、私持ってました。

現代アートにおけるリテラシー

現代アートは難解と敬遠されがちです。でも、現代アートを別な視点で、作品を観察すると、その意図に気付くはずです。リテラシー(literacy)とは、読み書きする能力の事を言いますが、現代アートは、コツを掴めば、簡単にリテラシーを得られると思います。なぜならば、見た人に、『?』と思わせれば成功だからです。何も印象に残らず、通り過ぎて行ったら、作品の意味がありません。また、作品をちょっと観て、『こんなの分からない』と、匙を投げずに、充分に観て何かを感じて欲しいのです。すると、『!』と思うはずです。簡単に言うと、現代アートは鑑賞者に対し『?』、『!』と思わせるアートです。そこに、様々なメッセージが含まれ、観ている者に様々な事を考えさせられます。現代アートの開祖と言われる、マルセル・デュシャンの1917年の『泉』を例に説明すると、デュシャンは、“R.MATT”と書き込んだ便器を美術館に持ち運び、展示しようとしました。それこそ、『?』と思いますが、そこには、デュシャンが便器をチョイスし、“R.MATT”とサインした意志と行為が介在します。そして、なぜデュシャンが、そのような行為に及んだか、考えさせられてしまいます。その作品について、考えさせられるという事が、デュシャンの術中にはまってしまうと気付き、『!』と思います。この『泉』は、オブジェの走りです。人間は、考える生き物なので、作品を観て、『考えさせる事』が重要なのです。作者は、作品を制作する時は考えて制作しますが、このようなオブジェ作品は、作者の思考過程を遡る事で、作者の思考体験を疑似体験する事になります。すなわち、オブジェ作品を中心とする現代アートは、機械に頼り過ぎて、人間関係が希薄になった現代人が、作者の思考過程を疑似体験する事によって、感動を分かち合う、寂しがり屋のアートなのです

制作日記2

昨日は、アトリエ彩園子での制作です。少し朝早くから来て制作開始する予定でした。しかし思いの外、寒くて、部屋が暖まるまで、始める事が出来ませんでした。暖房は、旧式の丸い円柱型の石油ストーブです。マッチで火を付けるんですよ。そのうち、大宮政郎先生が到着し、現代アート雑談となりました。60年代の10年間、日本の芸術界は、アクション・ペインティング(肉体的な動作で絵の具をぶちまけ、偶発的効果を狙った抽象画)全盛の時代だったそうです。それを考えたら、現代の芸術界の方が、保守的な気がします。今日の大宮先生の話では、個人的には、ボクシング・ペインティングの篠原有司男さんのアメリカ渡航後の苦労話が興味深かったです。58d9a2e7.jpg初公開です。ここが、アトリエ彩園子のアトリエ内部です。丸い石油ストーブと、木製の椅子が時代を感じさせます。9855489d.jpg前日制作した作品をイーゼルに、セッティングしました。このイーゼルも古めかしいです。一体、このイーゼルで何枚の絵が描かれたのでしょうか?
991f66e5.jpg大分、色が増えていきました。まっすぐなストライプは、マスキングテープを貼って、塗りました。マスキングテープは、画材屋さんに置いてある、お洒落な物より、ホームセンターのペンキ売場に置いてある、ゴツいマスキングテープが好みです。そして、絵に生命を吹き込みたいので、早めに眼に色を入れました。

なぜ分からないの?


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雑誌penで、『一冊まるごと、現代アート入門!』という特集があったので、読んでみました。
内容は私が10代の頃から大好きだったアーティストで一杯でした。

難解と思われるコンテンポラリー・アートも、60年代末の段階でやり尽くされた感があります。
最後は街中で前衛パフォーマンスするなど身体を張ってする所まで、やってます。

実際、絵画やオブジェなどの作品を制作しても、何をやっても、何処かで誰かが同じ事をやっているという感覚に陥ります。
私の場合は、最初から『売るのを前提にしない絵』を描いているので、かなりインディーズ志向です。だけど、誰かに見てもらわないと芸術として完結出来ないので、東京の美術館で展示したり、個展をやったりします。

表現者は、表現者と観賞者の二者が関係がある事で完結します。
観賞者が居なければ、作品はただの練習やメモになってしまいます。

芸術は観賞者という人の前に、作品を晒す事です。
だから芸術家は晒す人の事をいいます。

しかし、コンテンポラリー・アートは、受け取り手のリテラシーの高低で判断するという事があります。
私は気が付いたら、10代の時からコンテンポラリー・アートに夢中になっていて、penでも取り上げた芸術家達の大ファンでしたが、それを分かち合える相手が居なくて、当時は『何で分からないだ!』という気持ちで一杯でした(笑)。

アートは一種のメッセージや思想のようなものです。
21世紀になって、コンテンポラリー・アートが普及した感じがしますが、大衆がその思想やメッセージをどこまで理解出来ているか怪しいと思います。
何となく、ファッションみたいに受け取られているような気がします。

雑誌penの特集は、絵描きの私から見ても、本格的なアーティストをしっかり取り上げているので、現代アートについてリテラシーがない方には、現代アートに触れる格好の機会となると思います。

※この記事は、2017年6月29日に、投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
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