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9月5
6月14
久し振りに私の好きなバンド、ザ・フー(The Who)の話です。
これで、フーの話は通算11回目になります。
これまで投稿した内容を列挙すると、2007年4月28日『The Who』、4月17日『ロックオペラ・トミー』、4月28日『I can't explain』、5月15日『Substitute』、6月23日『Pictures of Lily 』、7月3日『Won't get fooled again』、7月30日『ガールズジャケット』、11月15日『ロックはこの音』、11月19日ドキュメンタリー映画『The Kids Are Alight』、2008年1月20日『The Whoのモッズ・ファッション』といった感じです。
こんなに多ければ、私自身書き過ぎて、忘れて同じ内容を書いてしまいそうなのでちょっとまとめてみました。
“I’m a Boy”は、『そういえばこの曲について書いていなかったな』と思ったので、書いてみました。
この曲は、演奏時間が短いポップス調の曲ですが、ある物語が隠されています。
その物語は、『女の子として育てられた男の子の話』です。
この曲を書いたのは、ギタリスト・ソングライターのピート・タウンゼントです。
彼の書く曲は、凡庸なハードロックで描かれる『マッチョな男』ではなく、『繊細な少年』が描かれているのが特徴です。
この曲も、ご多分に漏れず、女の子として育てられ、女の子の服を着せられた、かわいそうな少年が描かれています。
ここでは、ジーン・マリー(Jean Marie)フェリシティー(Felicity)サリー・ジョイ Sally Joy)と呼ばれる姉達?に囲まれたビル(Bill)という少年が主人公です。
ビルは、ズボンも履かせてもらえず、この姉達にメイキャップの練習台に使われたり、夜はビルが付けているヘアピンを引っこ抜かれたりします。
姉達は、ビルを男の子と認めていないので、家でビルの前でもガウンを着ません。
また、彼らの母親も、男の子である事を認めてくれません。
ビルは心の中で『男の子だ』と言うしかありません。曲はそこで終わっています。この曲では、“ユニセックス”という概念を皮肉たっぷりに描かれています。
確かにこの曲がヒットした1966年(全英2位)頃からビートルズやローリングストーンズなど長髪の男性が出現していきます。
写真で見られるザ・フーのメンバーも、まだマッシュルームカットの程度ですが、この後どんどん髪が長くなっていきます。
そして、ヒラヒラとした女の子が着るようなブラウスまで着始めるようになります。
現在では男性が多少髪が長くても全然驚きませんし、多少ユニセックスなファッションで、『こんなファッションなのかな』と思う位です。
そう言う私もユニセックスなファッションです。恐らく、60年代から男女の立場が変化していったものと考えられます。
すなわち、『弱い男性と強い女性』という立場の逆転です。
男性と女性と体格を比較すると、男性は女性より背が高く筋肉質です。
しかし、現代の機械文明社会ではその体格を発揮する場面は限定されます。
スポーツ選手や警察・警備及び軍隊ぐらいでしょうか?
日常生活では引越しや電球の交換程度しか体格の優位性は発揮されないでしょう。
そうすると、日常生活において、男性は女性との差異と存在意義を示す体事ができなくなります。
また、女性の社会進出はめざましく、ますます男性と女性の存在の境界線が曖昧になります。
究極的には男女の差異は妊娠・出産ができるか否かになって来ると思います。
しかし、時代によって男性が男性性を発揮できる時があり、それは戦争が起った時です。
記憶に新しい事例はイラク戦争の頃に、世界中の男性の間で髭を生やす事が流行した事した事です。
でも、いつの間にかその流行は廃れていきました。
一応イラク戦争が終結したからです。“I’m a Boy”はそんなユニセックスな現代社会の象徴した1曲なのかも知れません。
※この記事は2021年9月23日に、原文を損なわない程度に修正致しましました。
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