★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

盛岡市

ギャラリー巡り

昨日は、風邪を引いて起きているのも大変でしたが、8日は起きてみると、少し倦怠感が楽になってきています。
まだ多少のどが痛いですが、何とか動けそうです。
ほとんど、2日間コンビニぐらいしか外出してないので、この日は盛岡のギャラリー巡りをすることにしました。

まずは、この日最終日となる『絵画・陶・金属工芸展』を旧石井県令邸へ行って観てみました。
この展示は、早坂幸子さん、岩渕毅弘さん、石川深雪さん、菊池 翔さんで、文字通り、絵画と陶と金属工芸の作品を同時に展示しています。
毎年拝見していますが、明治時代に建てられた洋館である旧石井県令邸の雰囲気と相まって、何とも言えない良い雰囲気になっています。

次に岩手県民会館に移動し、第65回岩手芸術祭美術展の現代美術部門を観ました。
芸術祭賞を受賞した福田沙也さんの作品は二点ありましたが、どちらも彼女らしいタッチの作品で、唸らせられました。

そして次にギャラリーのCygに行って、佐佐木實「書書葉葉」を観ました。
とても、『書』の範疇に入り切らない作品で、まさに現代美術です。

そして、やはりギャラリーである彩園子IIに行って『ごにんてん』を観ました。
さかしたまりん、ふるかわあすみ、たかやましほこ、おぐらのぞみ、せがわさとみ、の女の子ばかりの5人展でした。
内容も人形やドレスをモチーフにした女の子らしい展示でしたが、
私は『女の子っぽい展示』が大好きなので満足しました。
それは私自身の作風が、女の子っぽい作風なので分かると思います。

下の写真は、『絵画・陶・金属工芸展』の展示会場である旧石井県令邸。

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匿名的な風景写真

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だんだん天気が悪くなり、梅雨らしい季節になってきました。
上の写真も、薄暗かったのですが、Macで見やすいように加工しました。
私が、このブログでアップする盛岡の風景写真は、『観光的ではない。もっと観光的な写真をブログに載せたら良いのではないか』と良く言われます。
でも、このブログは観光のBlogではなく、アーティストのBiog『★絵描きの日記』ですからね。
基本的には、私の感性で気に入った写真をアップしていきますよ。
なぜか私が撮った風景の写真は匿名的な所があって、見た人に『どこの街なのか』と考えさせてしまうみたいですよ。

盛岡の観光のBlogは、下記のURLの『愛LOVEもりおか★徒然日記』が、おススメです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi/MYBLOG/yblog.html

弾丸トラベル

22日の夜に富山市から盛岡市に帰りました。
所要時間は片道5時間半です。
やはり遠かったなぁ〜。
現地滞在時間が22時間の弾丸トラベルでした。

私は飛行機に乗ったら、まず座席のポケットにある『安全のしおり』で機種を確認することが習慣となっています。
これは、ひとつの旅の楽しみです。
『この飛行機は良いなぁ』とか、『あの飛行機が良いなぁ』とかの思い出になるからです。
飛行機は、行きがボーイング777で、帰りがボーイング767でした。
ボーイング777は、なかなか素晴らしい機体でしたよ。

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目立たぬように…。

22日は盛岡市内丸にあるCygシグ[アートギャラリー]で展示中の
「ちばさなえ過去未来点」に行ってきました。
22日は最終日なので、まさに駆け込みです。

いつもギャラリーに行くと、やたら軽々しく喋る私ですが、その日の心境で
『こっそり』とギャラリーを覗きに行きました。
あまり目立たないように、ひっそりと…。

ちばさなえさんの作風は、すごくほんわかとした、暖かい抽象の版画作品でした。
ちばさなえさん本人も在廊していて、挨拶をして頂いたので、失礼があってはならぬと、私も挨拶して軽く感想を述べました。
私の、その声は、その日ギャラリーで発した初めての声でした。
そして、そそくさとギャラリーを出ました。
目立たぬように…。

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展示のお知らせ

第64回 岩手芸術祭 現代美術部門 
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星のプリンセスの星の輝き (100.0×80.3 cm ×2 ) 出展!

第64回 岩手芸術祭 現代美術部門 
会場:岩手県民会館
   盛岡市内丸13-1
会期:平成23年10月20日(木)〜10月23日(日)
開場時間:10時〜17時
     (最終日23日16時まで)

東北地方太平洋沖地震・スーパーの商品が…

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から6日経った17日、盛岡は氷点下4℃まで気温が下がりました。
前日から雪も降っています。
いつも、この時期には、こんな気温は下がらないのですけどね。
灯油が不足しているので、灯油で暖房している方は、シャレになりません。
避難所に避難している方々を思うと、気の毒です。

街中を歩くと、ガソリン不足のためか、郵便物を配達するバイクが、自転車に変わっていました。
そうです!
あの年賀状の配達に使われるあの赤い自転車にです。
ついに、ここまで来たかと思います。

ガソリン不足は、シャレにならないほど、深刻です。
全国から送って戴いた、支援物資は、盛岡近郊の滝沢村の産業文化センターという、広いアリーナに一旦集荷されますが、それ以後に各避難所に運ぶ燃料がない状況になっています。
岩手県は、四国に迫るほどの面積がある県なので、集荷された後が問題になるのです。
物流が燃料不足で途絶えているのです。

私も、17日はスーパーの列に並びました。
入り口の前で入場制限がかかっているのです。
スーパーに並ぶ列は、横3列並んでいて、コンサートの時のように少しずつ入場して行きます。
私が行った時は、午前中だったので列は長くなかったですが、それでも20分ほど並びました。
商品は一品につき、一つという制限付きです。
野菜は思っていたより揃っていましたが、魚はいかにも冷凍物で、肉も色合いが微妙でした。
こんな時こそ、開き直ってビールでもくらおうかと思ったら、酒類の棚は、スカスカで、ハードリカーしか置いてませんでした。

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東北地方太平洋沖地震・ガソリン不足で…

東北地方太平洋沖地震発生後より4日経った15日、盛岡の空に、あれだけ飛び交っていたヘリコプターの音が少なくなりました。
恐らく、ヘリコプターは、負傷者が多かった沿岸部から盛岡のヘリポートに運び、それから各病院に救急車で搬送されたのでしょう。
とても、悲しいことですが、地震発生後より72時間以上過ぎた現在、地震と津波に巻き込まれて、瓦礫の中で、かろうじて生存者していた方も、生存している可能性は低くなっています。

比較的地震の被害が少なかった盛岡でもガソリンの入手が困難になり、13日の段階で3時間待って、5リッターのみの給油で、14日の段階でガソリンスタンドは、どこも終日売り切れで、緊急車両のみの給油となっています。
米や野菜があっても運送する車が走れなくなっています。
ゴミ収集車も燃料不足によってゴミ収集が中止になっています。
ガソリン不足が市民を直撃しています。

また、携帯電話は通じますが、『大変込み合っています』とアナウンスされる時があります。
もっぱら、メールによるやり取りが、連絡手段となっています。

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上の写真は、壁に寄せていたアップライトのピアノが、地震の揺れで壁から離れてしまった光景。
ピアノの下に付随している車輪はロックされていた状態でした。

東北地方太平洋沖地震・今、自分に何が出来るか?

東北地方太平洋沖地震の3日後の14日、盛岡上空はヘリコプターが飛び交っています。
度重なる余震のため、時折グラッ・グラッと来て、まるで飛行機に乗っているように感じます。
同日、盛岡のデパートのデパ地下では、地震の影響と思われるガス爆発があり、死傷者が出ました。
東京電力の福島第1原子力発電所などが受けた深刻な被害で、ついに計画停電の事態になりました。
東北地方太平洋沖地震の被害を要約すると、

1.マグニチュード9.0という未曾有の巨大地震による被害
2.広範囲に及ぶ津波の被害
3.原子力発電所の被害

ということになります。 
まさに日本の終わりであるかのようです。
直接的な地震の被害だけでなく、計画停電による間接的な経済損失は膨大で、GDPに影響を及ぶのは確実です。
でも、そんな時こそプラス思考が大切であると思います。
『今、自分が必要とされている。今、自分に何が出来るか?何をしようか?』と考えることが大切です。

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写真は東北地方太平洋沖地震が発生して約2時間後の3月11日、午後4時50分頃の盛岡大通商店街の1コマです。
降りしきる雪の中で居酒屋さんが炊き出しをスタートさせています。

東北地方太平洋沖地震・飛び交うヘリコプター

東北地方太平洋沖地震から2日後の13日、盛岡の街は徐々に日常を取り戻してきました。
12日は、コンビニやスーパーの長蛇の列が見られましたが、今は平静さを取り戻しています。
しかし、品物不足は否めないようです。
岩手県及び宮城県の沿岸の被害は筆舌尽くし難いです。
知れば知るほど本当に大災害です。
マグニチュード9.0なんて聞いたことありません。
上空では、ひっきりなしにヘリコプターが飛び交っています。
岩手県庁の駐車場は、自衛隊の車両で、びっしりです。


東北地方太平洋沖地震

『災害下どうするか?』、本当に様々な教訓を得ました。
私が住む盛岡市は建築物の被害は、なかったのですが、停電が困りました。
3月11日の14時46分に地震発生。
12日の、16時頃になって携帯のメールが送信出来るようになり17時10分頃電気が通じました。
停電の間、マンションはエレベーターも水道も止まっていました。
やはり、連絡が取れない、情報がラジオかカーナビのワンセグしか得られないのが一番不安でした。
停電で信号が作動しないのも困りました。
色々、日々にの生活について反省させられました。
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気まぐれギャラリー
『シャキーンとした猫』
2019年

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