★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

自民党

誰も語らない二大政党制の時代

近頃では、日本もやっと、自民党と民主党の二大政党の時代がやって来たと言われます。
しかし、日本は昭和初期は二大政党制であったことを誰も指摘しません。
誰もその事実を語りたがらないのは『曰わく付きだから』であります。
(その曰わくは後述します)
昭和初期の二大政党は、立憲政友会(政友会)と立憲民政党(民政党)です。

政友会は、初代の内閣総理大臣である伊藤博文が結党した由緒ある政党で、平民宰相と謳われた原敬も政友会でした。
また政友会の最後の総裁代行は鳩山由紀夫 ・邦夫の兄弟の祖父である鳩山一郎でした。

一方、民政党は、右往曲折を経て、分裂した政友会と憲政会が合併して、1927年に結党されました。
ライオン宰相と言われた濱口雄幸、若槻禮次郎など、総理大臣を輩出しています。
また、小泉純一郎の祖父である小泉又次郎は民政党の幹事長でした。
また、娘婿の小泉純也(純一郎の父)も、もちろん民政党でした。
民政党は1940年まで続き、二大政党の時代は、13年続きました。

注目すべきは、日本で初めて、25歳以上の男子による普通選挙が行われたのが、1928年であることです。
その間、政友会と民政党がほぼ交互に総理大臣を輩出していくのです。

では、なぜこの二大政党制が曰く付きになったのでしょうか?
まず、この昭和初期の二大政党時代、民政党の濱口雄幸首相と政友会の犬養 毅首相が凶弾に倒れました。
これらの事件が、日本の民主主義に冷や水を浴びせたのは、疑いの余地はありません。
日本は1937年に日中戦争に突入し、一気に軍事体制になり、1940年に民政党が解党しました。
そして、政友会と合流し、一国一党体制の大政翼賛会となりました。
旧民政党の議員達は、軍部の後押しをして、大政翼賛会の党派の主流となりましたが、終戦後に旧民政党の議員達はGHQによって公職追放されました。
民政党であった小泉又次郎と小泉純也もまた、公職追放となりました。
やはりこういった事実が曰くとなり、あまり『二大政党制の時代』として語られなくなったのでしょう。

一方、戦後、鳩山一郎ら旧政友会系で翼賛政治に批判的であった議員達によって、日本自由党を結党され自由民主党に発展します。
そして、鳩山一郎は自由民主党の初代総裁に就任するのです。
小泉純也ら、公職復帰した一部の旧民政党議員は、鳩山一郎の自民党の結党に合流します。

今後、日本が二大政党制の時代になった

いつもと違う夏

毎年訪れる夏ですが、今年はいつもの夏とは違う感じがします。
それは、真夏に衆院選が行われるからです。
既に同じ自民党でも、参議院と衆議院の議員の表情が違います。
明らかに衆議院議員の方が、余裕がない表情をしています。
マスコミも民主党優勢を伝えています。

もはや、“自民党代議士”というブランドも、地に落ちた感があります。
麻生総理の考えでは、7月21日に衆議院を解散し、8月18日公示、8月30日投票ということです。
8月に衆院選が行われるのは、明治時代以来だということです。
それは、行楽シーズンを狙って、投票率低下を計る自民党と公明党の思惑もあると思いますが、それがどう作用するのでしょうか?
まず、お盆休みの最中でも、選挙事務所のスタッフを雇わなくてはいけなくなります。
後援会にしてもしかりです。
代議士の先生の、熱中症対策も重要です。
代議士の先生達は、高齢ですからね。

民主党が公務員の人件費削減を謳っているので、意外に公務員の票が自民党に流れる可能性があり、結果は蓋を開けてみないと分からないかもしれません。

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投票率低下を考よう!

今日は、刻々と衆議院議院の任期満了(任期は今年の9月10日まで)のタイムリミットが近付いている中、なぜ日本の選挙で投票率が下がり続けるか考察しましょう。

選挙を棄権した方々で良く言われることは、『投票しても、何も変わらないから』という理由が目立ちます。
それは、現代の日本の選挙では組織票が物を言うことが原因であると思います。
組織票は、皮肉にも投票率が低下すればする程、有効に機能します。
公明党が、なぜ与党になれたのかと言いますと、創価学会の組織票を取り込んだことは有名な話です。
また、自民党は様々な業界団体の組織票を取り込んでいます。
与党だけでなく、民主党も日本労働組合連合会(連合)からの組織票が大きいです。
組織票というのは、人海戦術のたまものですが、それが個人の意向を反映しているとは言えません。
そういった組織に属していない人が、清き一票を投票しても組織と個人の対立軸になってしまい、『選挙へ行っても、何も変わらない』という心理が発生します。
無党派層というのは、暗黙のうちに、そういった組織票に縁がない人達を指します。
現在の政府与党を、組織票の観点で論じるならば、『業界団体と創価学会で構成された政府』となります。

もう一つ、投票率が下がる原因になっているのが、『有権者の生活環境の多様化』でしょう。
大体、選挙は日曜日に行われますが、サービス業に従事する人が多い今時、日曜日に休日である人は、減っていると思います。
期日前投票という手もありますが、期日前投票のシステムが、日曜日に働く人の全人口をカバー出来るか疑わしいものです。
また、若年層や転勤族は進学や転勤で住民票を移していない方が多く、それを選挙のために住民票がある場所に帰る可能性は少ないです。

だからと言って、何もせず手をこまねいている訳でなく、打開策はあると思います。
自分が思っていることを政治に反映させるにはまず、引っ越すたびに、マメに住民票を移すことが基本となります。(転居後の選挙権は、住民票を移して3ヶ月が条件になるので、今から移しても間に合いませんが…)
あとは、期日前投票を有効に利用することも重要です。
そして、さらに重要なことは、どんなに頼まれても、組織票には絶対に加担しないことです。
選挙は無記名投票が基本なので、組織票に加わらなくても、バレませんからね。
本当に、個人個人で考えていることを投票に反映させれば、『何も変わらない』という思いは、なくなると思います。
何よりも、自民党の古賀誠選挙対策委員長が、次の衆議院選挙について、『投票率はあまり高くないほうがいい。高いと自民党にプラスということもあったが、最近は怖い』と述べたことが、組織票に頼ってきた与党自民党のと本音ではないかと思います。

東国原知事の衆院選出馬問題に対する私見

自民党の古賀 誠選対委員長からの衆院選出馬要請に対し、東国原英夫宮崎県知事が『総裁の椅子』を条件として出したことについて、私は東国原知事の論議が、少し飛躍し過ぎのように思います。
もし、仮に東国原知事が大臣の職を務めるならば、総理大臣よりも総務大臣の方が適材適所であると思います。
地方自治を統括する省が総務省だからです。
『全国知事会の意見をマニフェストに盛り込んで欲しい』と、地方自治に関して、それなりの意見を持っている方なので、そういった政治家には総務大臣が、的確なポストだと思います。

しかし、一つ私が懸念している事は、 東国原知事の国政への転換は、知事の任期が満了になってからでないと、投票してくれた宮崎県民に対して公約違反になるのではないかという事です。

そもそも、なぜ、東国原知事の衆院出馬問題が起こったのかと言いますと、事の発端は宮崎一区から選出された衆議院議員、中山成彬元文部科学大臣が、政界引退表明をしていることによります。
古賀選対委員長も、単純に中山成彬氏の後任を探していただけなのだと思いますが、まさか『総裁の椅子』を条件に持ち出すなんて、相手が悪かったのかも知れません。

これらの東国原知事の言動ついて、石原慎太郎都知事の『なかなかしたたかな芸人だと思ったね』というコメントが、全てを物語っていると思います。
宮崎県では知事として、圧倒的な支持率を誇る東国原氏なので、来るべき衆院選で、自民党で立候補しても、恐らく当選するでしょう。
でも、知事選の時に票を入れたくれた宮崎県の有権者に、説明をする責任はあると思います。

骨肉の争いの行く末

国会議事堂

中川一郎氏は、1963年、北海道5区から衆議院議員総選挙に出馬し、初当選し、農林水産大臣、科学技術庁長官を歴任しました。
昭和57年11月、中川一郎氏は自民党総裁選に出馬し中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎の3氏と戦い、最下位で落選。
1983年1月9日、札幌のホテルのバスルームにて首吊り自殺している状態で、発見されました。
中川一郎氏が死去すると北海道5区から、同氏の第一秘書である鈴木宗男氏(現・新党大地)と、同氏の長男である昭一氏と骨肉の争いを演じ、マスコミを賑わしました。
中川一郎氏の長男、中川昭一財政・金融大臣は、ローマG7における、 ろれつが回らない状態での記者会見の映像が世界中に配信され、2009年2月17日辞任しました。

中川昭一氏のローマG7会見と辞任騒動で、中川一郎氏のことが、頭をよぎったのは私だけではなかったでしょう。
タカ派議員で有名であった、中川一郎氏は、息子のために日本の威信を傷つけられ、雲の上ではガックリしているのではないでしょうか?

『骨肉の争い』を演じた二者を、長時間的視野で観ると、鈴木宗男氏は2002年、ムネオハウスの建設をめぐる疑惑で失脚し、中川昭一氏は今回の騒動で財政・金融大臣を辞任するなど、展開としては思いもよりません。

やはり政治は闇です。

共和党と自民党

前から薄々気付いていましたが、アメリカの共和党と日本の自民党はグルなのではないかと思ってしまう時があります。
アメリカで、民主党から大統領を輩出すると、日本の自民党が途端に元気がなくなり、共和党から大統領が輩出すると、自民党でも強烈な方が総理大臣に就任しています。
まず、自民党自体が、『55年体制』として共和党アイゼンハワー大統領の時代に結党されたことから関係性が疑われます。
主なアメリカの共和党所属の大統領と、同時期の日本の内閣総理大臣を並記すると、下記のようになります。(在任期間)

アイゼンハワー (1953年〜1961年)
岸信介 (1957年〜1960年)

リチャード・ニクソン (1969年〜1974年)
田中角栄 (1972年〜1974年)

ロナルド・レーガン (1981年〜1989年)
中曽根康弘(1982年〜1987年)

ジョージ・W・ブッシュ (2001年〜2009年)
小泉純一郎 (2001年〜2006年)

こんなに、そうそうたる面々が日米で政治的結託をしています。
これは、果たして偶然でしょうか?
そして、民主党から大統領が輩出すると、自民党は苦境に陥ります。

ウォーターゲート事件で1974年、共和党ニクソン大統領が辞任すると、日本の自民党では、1975年から1976年にかけて『三木おろし』が勃発したり、『角福戦争』がこじれ、一枚岩ではなくなってしまいます。
そして、1977年には民主党ジミー・カーター(1977年〜1981年)が大統領として就任します。

民主党ビル・クリントン(1993年〜2001年)が、大統領になった1993年 、日本の自民党は選挙に大敗して、野党になってしまいます。
そして、翌年にかつての政敵、社会党と連立政権を組むことによって、かろうじて与党として復帰しています。
以降、1998年まで自社さ連立政権(懐かしい響きです)として、社会党と組まざるを得ない状況でした。
近年でも、ブッシュ政権が行き詰まりを見せるようになってから、総理大臣がコロコロ変わる事態に陥っています。

この流れで行くと、民主党オバマ大統領が就任した今年は、また自民党に何か起こってしまうのでしょうか?

もう何か起こっているかな?

黒船

個人的には、日本の歴史の歯車が狂い始めたのは、江戸時代の鎖国政策からではないかと思っています。
1641年に長崎の出島以外の貿易の窓口を封鎖してから、1858年の日米修好通商条約が締結されるまで、実に217年間もの長きに渡るまて、日本は世界から取り残された形になります。
江戸時代は寿命が短かったでしょうから、気が遠くなる程の世代が、鎖国の時代を生きていたことになります。
1858年の時点で、日本は欧州の産業革命から遅れを取り、世界から100年は遅れたでしょう。
何しろ、江戸時代にアメリカから蒸気船がやってきたのですから、その文明の落差は明らかです。
開国してから、第二次世界大戦の敗戦までの約80年間は、鎖国の遅れを取り戻すために少々無茶をしてしまった結果、失敗してしまったように思います。
高度経済成長期は、開国以来の蓄積と、『アメリカに一番近いアジア』という地理的特性を生かして経済大国になり、それ以降はインフラ整備が終了したため、経済成長率が鈍化したのだと思います。
鎖国が日本人の欧米コンプレックスの原因になったという精神的マイナス面も大きいと思います。

でも、もし鎖国政策をしなかったら、日本がどうなっていたのか考えると、恐ろしくもなります。
歴史に、『もし…』はあり得ないのですが、全ての物事は長い歴史から成り立っているのです。

物事は、目先のことばかり考えずに、30年後50年後の長いスパンで物事を考えた方が良いでしょう。
今の、ねじれ国会の自民党と民主党の議論が、30年後50年後にまで通用する議論なのか、はなはだ疑問です。
果たして30年前の『三木降ろし』・『角福戦争』は、21世紀の現代において意義のある議論だったのでしょうか?

もし衆議院が解散し、投票の日が訪れたら、有権者達は、30年後50年後を見据えた投票をしなければなりません。

不毛な総裁選

自民党の総裁選で麻生太郎幹事長が当選しました。
何か予定調和な感じの総裁選でした。
自民党は、元々麻生氏が当選することが分かっているのに、不毛な総裁選をメディアに流し続けました。
民主党の代表選と同時期にぶつけた自民党の戦略が見え隠れします。
小沢一郎代表の無投票3選した民主党に対し、5人もの候補者が乱立した自民党は民主党が小沢代表の独裁性を強調したかったのでしょう。

自民党の総裁選は元々、党所属国会議員と都道府県連代表による投票なので一般市民は関係ない出来事です。
関係したくても出来ないのです。
制度上の問題なので仕方ないのですけどね…。
何だか、全て遠い永田町の出来事のように感じるのは、私だけでしょうか?

予定調和

昨日は風邪の症状がひどかったけど、今日は昨日より少し体調が良くなりました。まだ完全じゃないけど、元気になってきました。ところで今、自民党が続々と候補者を決めていますね。与党は、あれだけ衆議院の解散総選挙を否定しているのに準備だけは着々進んでいるようです。誰が否定しようとも、誰の目にも洞爺湖サミットの終了後に、衆議院の解散総選挙が行われる事は明白です。まあ、予定調和ですね。でも、もし解散総選挙が行われたら、与党自民党はかなり逆風になるでしょう。元々自民党は支持基盤の平均年齢が高いのに、年金問題と後期高齢者医療制度の問題です。しかし、民主党も衆参のねじれ国会の状況で、すぐに政局に走ったり、妙なポプュリズムに走ったりと私自身、投票したい政党がないのが実状です。いわゆる無党派層ですね。日本の政治は、誰がやっても同じだという感じる方も私だけではないと思います。結局、各省庁の大臣は短期間で変わる飾りになってしまい何も変わらず過ぎ去ってしまうのが実状です。結局は日本を動かしているのは役人だと思ってしまうのです。36751920.jpg
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