★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年、2014年、2018年、2022年、富山国際現代美術展に参加。

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ブログのためのブログ

PC版のブログの背景を、私の作品にしていましたが、5月3日の13:40、シンプルなものに変更しました。
理由は画面を見て、ただうるさいように感じたからです。
他意は、ありません。
元に戻して欲しいという声があれば戻しますが、近頃はスマートフォンで見る方が多いので、あまり関係ないのかな?

私もかれこれ、6年以上も毎日のようにブログを更新しています。
最初は書き方が、かなり危うかったですが、毎日一日も欠くことなく書いているうちに、大分慣れてきました。
自分がブログの執筆に慣れて来ると、段々上手いブログと、そうでないブログを見分けられるようになってきます。
やはり上手なブログは、目的意識があり、何かのテーマに特化したブログが、分かりやすくて良いと思います。
一番読んで痛いと感じるブログは、一般人が、芸能人ブログを真似て行間を開け過ぎて書くブログですね。
芸能人でも、行間を開け過ぎるブログは、あまり賢明でないように感じます。
多分、読み易さに配慮したものだと思うのですが、何にでも程があるかと思います。

私、自分自身がブログを書くため、勉強のつもりで毎日毎日、様々な方のブログを読んでいます。
自分でも、かなり失敗を繰り返して来ました。
だから、私も過去のブログを読むと冷や汗が出る思いがします。
そこで、6年以上ほぼ毎日ブログを書き続けた私が、その経験で得たものを列記します。

1.日記風にせず、何を訴えたいのか、テーマを決めたブログにする。
(私、ブログを始めた当初、何も知らず、“絵描きの日記”と名付けたことを、今では後悔しています。とりあえず、今では私の作品や展示のPR用にと自分で割り切っています)
2.他の人のプライバシーを尊重する。
(これも、日記風のブログにありがちなことですが、不用意に○○さんとどこかに行ったとか、書かない方が無難だと思います)
3.著作権を尊重する。
(これも私、結構失敗しました。今では何か本やCDを紹介した時は、アマゾンの情報を添付して、“広告”の体裁にするように心掛けています)
4.特定の個人を誹謗中傷しない。
(これは、人として当然のこと)
5.写真を載せる。
(これだけでも、大分ブログの内容が分かり易くなるし、見栄えも良くなります)
6.マメに更新する!
(毎日、誰かに読んでもらうには、結構重要なことです。これがあるので、昨今のブログ離れが進んでいるのでは?)

こんな所でしょうかね?
でも、今はTwitterやfacebookなどのSNSの時代です。
私が、上に書いたことは、ブログという古いメディアについてのことなのかも知れません。
でも、私がブログを始めた2007年には、Twitterやfacebookもない時代でしたからね。
単に、その頃からずっと毎日続いて来たと考えて頂ければよろしいかと思います。
そんな訳で、私は毎日Macに向かってブログを執筆しています。
あっ、そんな私もfacebookにハマっていますよ、一応…。

ブログ

ネット選挙運動解禁で若者の投票率は上昇するのか?

今夏の参院選からインターネットを使った選挙運動が解禁されるそうです。
若者の投票率を向上させることが目的のようです。

でも、私は若者の投票率は向上しないように思うのです。
その壁は、住民票です。
例えば地方の若者は、高校卒業と同時に住民票を移動させず、遠くの大学や専門学校に進学したり就職したりすることが多々あります。
わざわざ選挙のために、長時間かけて地元に戻って投票するでしょうか?
それは、否です。
また、就職したとしても、若年の労働者の労働環境は、ハードです。
サービス残業だらけの長時間労働だったり、住民票を移動させないまま転勤を繰り返すのは想像に難くないです。
長時間労働になると、投票日に行けないばかりか、期日前投票にも行けない可能性も出て来ます。

もし、どうしても若者の投票率を上げるには、進学や就職、転勤などの際であっても住民票の移動を義務付け、罰則を設けないと無理です。
何より、毎年開催される成人式で、遠方に転居した20歳の者同士が、一斉に故郷に帰り、同窓会状態になるのは、住民票を移してない証拠なのですから…。
でも、かと言って今から住民票を移したとしても、住民票を移動させて3ヶ月以上経ってないと、現在住んでいる居住地での選挙権がないので、7月の参院選には、もう間に合わないと思います。

また、若年者の過酷な労働条件では、投票日に行けないばかりか、期日前投票にも行けないと思います。
そうなると、期日前投票所をコンビニ並みに24時間行けるようにしないと、無理でしょう。

あと、頻繁にインターネットを利用する私から言わせると、“ネット万能論”は時代遅れのように感じるのです。
なぜなら、インターネットのニュースなどは、現状では、どこかの新聞社の記者が書いた記事を転載しているだけです。
また、マスコミが書いた記事に嫌悪感を感じ、一般市民が書いたインターネットの情報を妄信する方も居られますが、一般市民が、わざわざイスラエルのガザ地区に出向いて、Twitterで、
“ガザ地区なう”とツイートする方は居るでしょうか?
記者でもないのに、そんな危険な所にわざわざ出向いてツィートする方は居ないと思います。
結局、マスコミの情報に頼らざるを得ないのが現状だと思います。
ITビジネスが、始まった当初は、“ネット万能論”が、まかり通っていて私もそう思いかけましたが、現代から見ると懐疑的です。
そこで、重要になるのが、結局は“メディア・リテラシー”を身に付けることではないかと思います。

多分、インターネットを使った選挙運動をしても、いつも選挙前にポストに入っている候補者のチラシ以上の事は書かれないような、予感がするのです。
恐らく、チラシの情報がネットに移っただけのような…。

あつ!候補者にとっては、インターネットを使った選挙運動は、チラシの印刷代の節約になって良いかも知れないですね!

Cat






今日でBlog開設6周年 ベスト・オブ・絵描きの日記

3O1658











2007年4月1日から毎日続いている、このブログが、6周年を迎えました。
そのため、『ベスト・オブ・絵描きの日記』に、この1年間に書いたブログを10件ほどカテゴリーに追加しました。
この『ベスト・オブ・絵描きの日記』とは、制作・展示の記事とは関係ない記事で、文章と写真のみで勝負した、いわゆるエッセイ調のブログ記事をチョイスするというコンセプトのカテゴリーです。

おかげさまで、この1年も1日たりとも欠けることなくブログを書き続けられました。
この1年で、かなり facebookの影響を受け、2012年9月12日から、facebookの“いいね”のソーシャルボタンを追加しました。
この1年でブログの写真が、徐々に大きくなって来たのは、PC版のfacebookのニュースフィードの写真の大きさに触発されたためです。
そして、写真の位置もスマートフォン版で閲覧しても読み易いように配置するようにしました。
それなりに、時代に配慮しているんですよ。
加えて、2013年の2月17日から、PC版のブログ画面で長い間使用していた真っ黒い画面から、現在の私の作品で構成される画面に変更しました。
非常に現代的、かつオリジナルな画面に変わりました。
(2013年5月3日にシンプルな画面に戻しました)

記事をチョイスするにあたって、ネット検索で、よくヒットする記事や、閲覧数が多い記事、facebookの“いいね”のソーシャルボタンのカウント数などを参考にしました。
他に、知人と会った際に、話題にのぼった記事も『ベスト・オブ・絵描きの日記』に追加しました。
可能な限り、私個人の思い込みや主観を排除して、機械的にチョイスしました。

上の写真は2012年8月13日のブログより。
この写真だけは、私の主観でチョイスしたので悪しからず。
ベスト・オブ・絵描きの日記は下記のURLからも、ご覧になれます。
超巨大CDラックの話、英国車マニア気取りの話、ロンドンオリンピック閉会式でのThe Whoの話、レザージャケットの話などが一気に読めますよ。
             ↓
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/cat_10029760.html

TwitterやfacebookなどのSNSが全盛の今、ブログが古い媒体のように思われて久しいですが、Twitterやfacebookもない2007年からずっと毎日続けて、辞めずに現代にに至っている状況です。
ちなみに、私がfacebookを始めたのも、2010年10月23日と日本人としては比較的早い方かと思います。
実は写真を撮ったり、何か話題があった時にfacebookのウォールに書き込むか、ブログに書くか、最近よく悩んでいます。
でもブログは、2007年4月1日から、ずっと毎日書き続けているので、辞めるに辞めれない状況になっているので、ブログに記事を書いて、facebookでリンクをシェアすることでお茶を濁しています。

ちなみに、2007年4月1日という年度変わりの区切りが良い日にブログをスタート出来たのは、作為的ではなく、実は偶然なんですよ。

東日本大震災直後のブログの更新

ブログネタ
3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
間もなく、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震 )から2年が経ちます。
私は岩手県の盛岡市に住んでいます。
ですから、東日本大震災の地震の揺れからは逃れようがありません。

盛岡市は内陸なので、津波の被害もなく、地震の揺れも、首都圏と同じ震度5弱でしたので、建築物が倒壊するような大きな被害は、目の当たりにしませんでした。
しかし、問題は停電で、地震発生直後から、翌3月12日の16:00過ぎまで続きました。

そして、どんなことがあっても毎日ブログを更新している私。
3月11日当日には前日の10日に記事を書いて、0:00に予約投稿し、3月12日は18:21に投稿することが出来ました。
幸い一日も欠けることなく投稿が出来ました。
3月12日は18:21に投稿したのは、前述のように3月12日の16:00過ぎまで停電だったからです。
やはり、停電だとブログの投稿は難しかったです。
電気がやっと通じ、震災後の最初書いた3月12日ブログの文章が下記です。

『地震はまさに、日本沈没すると感じました。
停電は本当に困りました。』
2011年3月12日18:21の投稿です。
http://blog.livedoor.jp/kamoya/archives/51232879.html

たったこれだけです。
これ以上は書けませんでした。
正直、この日は電気が通じた喜びと、震災の状況の情報収集するだけで、とてもブログどころではなかったからです。

私はAUとソフトバンクの携帯電話を持っていましたが、AUは停電が解消されてからやっと電波が通じました。
ソフトバンクは、震災後もギリギリ微弱な電波が通じたり途切れたりしていましたが、充電が出来ないので、電池の残量を温存するために時々電源を入れてTwitterをチェックする程度で精一杯でした。
充電されているノートパソコンでも、LANが使い物になりませんでした。
ですから、電気が通じるまでブログに更新は出来ませんでした。

『でも、何としてでも可能であれば、ブログを更新したい』

やっと更新したブログの文章が、上記の3月12日の文章です。
そして、震災について冷静に考察して書き始めたのは、3月13日以降からです。
それは、停電で震災についての情報が停電で充分に伝わらなかったからです。
震災当日から翌日電気が通じるまでは、震災の情報を得るには、ラジオとカーナビのワンセグ、時々携帯電話の電源を入れてTwitterを覗くしか方法がありませんでした。
だから、震災当日のテレビのニュースも、短時間だけカーナビのワンセグを見ただけで殆ど見てません。
携帯電話のワンセグも一瞬だけ見ましたが、可能な限り電池の残量を温存するために、すぐやめました。
震災の被害の全容を掴むのは、電気が通じてからテレビを見れるようになってからなのです。

東日本大震災は、様々な意味で、教訓になるような体験を得たように感じました。

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